学部入学以降付けている読書録からの抜粋その4。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。
- 2017.6.5 ドナルド・バーセルミ『口に出せない習慣、奇妙な行為』サンリオSF文庫
- 2017.6.12 アレッホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』サンリオSF文庫
- 2017.6.21 SFマガジン2017年2月号
- 2017.6.21 SFマガジン2017年4月号
- 2017.6.12 SFマガジン2017年6月号
2017.6.5 ドナルド・バーセルミ『口に出せない習慣、奇妙な行為』サンリオSF文庫
部室にあったのを勧められて。初のサンリオSF。でも絶対SFじゃないのが紛れ込んでいる。面白く感じたのは、「バルーン」「報告」「ゲーム」「戦争の絵物語」。「報告」の謎兵器のアイデアがいい。「ゲーム」は島に関する何もかもが適当すぎる。ひどい。
コメント
書いてある通り、初めてのサンリオSFはこれだった。同時代の雑誌からのカットアップなどが含まれており、翻訳を介している時点でかなり読み味を損なってしまうタイプの作品が多いのが残念。これはダメ、これは面白いなど、一冊についてダラダラと話をしていた思い出の方が面白く思い出される。
こうした作品を読むときに、周囲に感想を共有出来る人間がいたのは非常に幸運だったと思う。Twitterとかでも出来なくはないが、ツイートした時点で全世界に大公開してしまうので、ブラッシュアップしていない生の感想をお出しするのはなかなか気が引ける。そういう意味で、この本を勧めてきた人間にも感謝しているし、ぐだぐだした話を無限に出来ていた場が懐かしく思えている。
2017.6.12 アレッホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』サンリオSF文庫
恐らく初のラテンアメリカ文学。ただSFと言えるかは微妙。文章に次々と現れる多彩な色や、音楽の織りなす景色はまさに協奏曲だと思う。流石は音楽史を大学で教えていただけある。裏表紙の「詩学大全」は言い過ぎ。マジック・リアリズムという言葉を作った人らしいのでここから体系的に読むのもいい。
コメント
初めてのラテンアメリカ文学は高校で読んだボルヘス『伝奇集』なのでこれは誤り。なんでこんな勘違いをしていたのか。
作品自体に関しては、発想自体は面白いけど、視覚・聴覚的な賑やかさを小説で表現するには限界があるでしょ、という感じ。ラテンアメリカ文学の無茶苦茶さ加減というか非日常性的なものはこの本を読んでなんとなく掴めたので、この後の読書にかなり貢献してくれた一冊だと思う。最初に凡作を読んで無意識にハードルを下げていたからという説もある。
あと、カルペンティエールによるマジック・リアリズムの原始的定義*1と、その矛盾と修正に関する議論*2は後になって初めて知ったが、それを念頭においてこの本を思い返すと、原始的なマジック・リアリズムが確かに認められるような気がする。
2017.6.21 SFマガジン2017年2月号
この号の目当ては映画『虐殺器官』のインタビュウとディストピアSF特集。ディストピアSFガイドは古今東西を問わず網羅されており、非常にありがたい。題名で気になっていたバチガルピ『ねじまき少女』が載っていてますます気になったので、これを機に読んでみようと思う。
コメント
ここから3号続くSFMの第1弾。3年後にSFMに寄稿することになるとは夢にも思ってもいなかった。反応が初々しい。
こういう総解説は本当にありがたく、この頃の自分を忘れずに、SFへ適切に導けるような良質な文章を書いていきたい。
2017.6.21 SFマガジン2017年4月号
この号の目当てはベスト・オブ・ベスト2016。エリスン「ちょっといいね、小さな人間」と宮内悠介「エターナル・レガシー」がよかった。流石に全部は読んではいないが、特集は全部読んだので。
コメント
この頃はまだエリスンが存命。流石にあのエリスンも最晩年で爆発力が足りないのか、かなり大人しい作品だった事がショックで強く印象に残っている。この頃断続的に発表が続いていた筒井康隆の文章にもかつての勢いがなく、作家の老いというものがショックだった。このとき自分がまだ21だったというのも大きいだろう。
2017.6.12 SFマガジン2017年6月号
お目当ては『筒井康隆自作を語る』だったのだが、読んでみれば中華SF特集が本体だった。郝景芳「折りたたみ北京」が非常によかった。『三体』という長篇が英訳されてヒューゴー賞を取ったという事もあり、流れは明らかに向いている。スタンリー・チェン「麗江の魚」もよく、創作は3つとも当たり。
コメント
「折りたたみ北京」、これは忘れようにも忘れられない。表面上は大きく変わった北京の街だが、住む人にはいかにもな中国らしさが残っている。このギャップがよく、しかも海外の人間のオリエンタリズムによる要請で出された作品ではなく、中国の内部から自然に発露した作品というのが非常に印象がよかった。(この辺、厳密には訳者ケン・リュウによるアメリカナイズや原文の変更も考慮しなければならないが)
中国SF・中華SFを読むようになったのはこの号がきっかけ。今の自分を形作った最も重要な本の一冊ということになると思う。
SFに急速にのめり込んでいったのもこの辺りからで、感想を文章にまとめようと思うようになったきっかけ(つまりこのブログをはじめようと思ったきっかけ)になったのもケン・リュウ作品への態度に整理をつけられなかったから。本当に中国SF様々という感じ。中国語を勉強するようになったのもここら辺から。中国SFははじめ英訳を読んでいたのだが、それだけでは我慢出来なくなり勉強しはじめた次第。