本記事は,津田一郎・池上高志によるオットー・E・レスラー『内在物理学』への書評(2002)の翻訳である.
当該書評は,Discrete Dynamics in Nature and Society 7(3)に掲載されたものである.当該書評はCC BYで公開されており,これに従って翻訳版を公表する.翻訳版に関して下村が翻訳者として有する著作権は,これを一切放棄する.
書評
津田一郎, 池上高志(下村思游 訳)
Endopysics : the world as an interface
Otto E. Rössler, World Scientific Publishing Co. Pte. Ltd, Singapole, New Jersey, Hong Kong. 1998
科学の究極の目的とは,運動と構造から成る一連の様式を解明することによって,世界を再構築することである.運動と構造の様式を解明することは,仮想世界を描き出すこと,さらには数学とコンピュータを用いてその仮想世界を現実の世界に実現させることすら可能とし得る.このような営みによって,科学者たちは「現実とは何か」という疑問に答えようとする.
このような営みに臨む姿勢には,視点に関して大きく2つの立場がある.ひとつは外部から観測する立場,もうひとつが内部から観測する立場である.前者は従来の科学的姿勢が依拠するものであり,本書ではこの立場に依拠した物理学を“外在物理学”と呼んでいる.一方,後者は,自己言及的な状況,つまり理論の内部に観測者自身が含まれるような状況を扱うことを可能にする.
20年ほど前,Rösslerは後者の方向への挑戦に向けて大きな一歩を踏み出した.Filkensteinに倣い,系の内部からの観測であるということを強調するため,彼は自身の理論を“内在物理学”と呼んでいる.その基盤には,彼のカオス理論の哲学的背景と,彼自身が発見したいわゆる“Rösslerアトラクタ”がある.この“内在物理学”は,従来のカオス理論を超え,外在物理学では無視されてきた個体性(individuality)と自己性(selfness)の問題を取り扱っている.本書は,Rösslerの内在物理学に関する論文を編集し,一冊にまとめたものである.編者はPeter Wiebel,適任である.
外在物理学では,現実は素朴な実在論に単純に従う.すなわち,分子と分子を支配する力学が存在するからこの世界があるとする.一方で,内在物理学では,現実とは観測者とそれ以外の世界全てとの間にあるインターフェイス(interface)*1に過ぎないとする.この独創的な実在論は,Kant派のいう“偽りの現実*2”や精神分析学といったものに近しいが,Rösslerによれば,それはより科学的な方法,すなわち主観的な形式の客観的事実として特徴づけることが出来るという.例えば,Rösslerは,Newton力学における初期条件と物理法則に加えて,運動を内在物理学的に実現するための第三の要素である割り当て条件(assignment condition)として第二因果性(second causality)という新しい概念を導入した.Rösslerは,本書を通じて,現実とは観測者-状態間で成り立つ相対的なものであり,それは当然インターフェイスや“切断*3”の概念に繋がることを強調している.この切断の存在に気づくことは,非常に重要である.なぜなら,観測された任意の状態は,インターフェイスにおける観測者の状態との相対関係によって定められる内在物理学的な状況においては,割り当て条件を必要とするからである.
Rösslerによれば,物理学の歴史において,このようなインターフェイスに影響される因果関係*4は,Boscovich,Einstein,Bohr,Everettによって真剣に論じられてきた.他にも,同様の議論は熱力学にも見出される.Rösslerは,相対論のような理論によって,量子力学の階層である微視的な階層から世界を再構築しようとしてきた.彼の目的とは,ミクロな非局所性を,“明示的な観測者”,すなわち巨視的な階層で活動しているように振る舞う脳と関連づけることである.
巨視的な階層では対象をラベリング出来るが,微視的な階層ではラベリングが出来なくなってしまう.したがって,内在物理学は本質的に区別不可能な対象を扱うことになる.この線引きを用いることで,個体性の起源を探ることが出来そうだ.なぜなら,区別可能であるという状況をいかに規定するかが内在物理学の本質だからだ.Otto Rösslerは,Niels Bohrになぞらえられ,自然の真理を見透かし,哲学的な思索,あるいは悟りといったものによって新しい現象の予言までをも可能とする人物であると言われている.Bohrの相補性原理のように,Rösslerは私たちの現実の感覚を支配する確固たる指導原理を構築しようとしている.一貫して,彼は,我々の世界が観測者に対して相対的にどう動くのかを強調すると同時に,世界がいかに正確かつ機械的に操作可能であるかについても主張している.Rösslerが本書で仮想現実や量子力学について何度も言及するのはこのためであり,その姿勢は単なる相対主義や素朴な実在論とは大きく異なっている.
このような,内在物理学における新しい原理に対する彼の信念は,科学にインターフェイスと情報の概念を効果的に導入したカオスとの出会いに大きく依っているようである.
内部観測者が世界の外に出られるかどうか,そしてそれによって外部観測者と同じ客観性を獲得出来るかどうかは,重要な問題であるように思われる.ナノテクノロジーは,原子を“操作”する方法を提供することによって,この可能性を示した.このような手段が,特に巨視的な階層において,他にあるだろうか? デジタルコンピュータというアイデアは,Aran Turingが彼の思考のプロセスを手計算として外部化したときに生まれた.したがって,現在のデジタルコンピュータは,脳の機能の一側面を映し取ったものとしてみなすことが出来る.Turing機械の構成に欠けているものは,主観性の外部化である.興味深いことに,Aran Turingは,いわゆるTuringテストを提案することで,この主観性について議論している.Turingテストが意味するのは,内部観測者は系の内部や外部に存在するのではなく,系の内部と外部との間にあるインターフェイスに現れるということである.
脳理論は,現在,かつて外部化されたものを内部化しようとしているが,これは内在物理学が取り組んできたテーマに等しい.古典的な人工知能と行動主義との双方を覆し,内在物理学は第三のアプローチを提供する.
複雑系研究の有望な方向性に関心のあるすべての研究者に本書を強く薦める.
本書には,広範な話題を扱った論文だけでなく,特定の話題を集中的に扱う論文も収めている.論文の記述スタイルは標準的ではないが,これは科学的思考と哲学的思考のよりよい融合の現れに違いない.計算機を用いたインタラクティブアートに携わる芸術家や研究者もまた,内在物理学の意義やインターフェイスの構築方法に熱中することだろう.それらの人々には,Peter Wiebelによる案内を入門としてお勧めしたい.さらに,すべての生物学者,特に脳科学者や進化生物学者に対しては,内在物理学を真剣に学ぶべきであることを強調したい.なぜなら,これらの分野では,“我々”にとっての現実とは何か,そして実験室内における“対象動物”の現実とは何かを問うことが避けられないからである.内在物理学は,現実はインターフェイスにしか存在し得ないということを教えてくれる.そのインターフェイスをわずかに見出すことによって,私たちは異なる“現実に関する感覚”を得ることができる.これは,Maxwellの魔やBohr切断から学んだことである.
したがって,私たちは,ミクロの魔が心や意識に関するマクロな奇妙さを生み出すインターフェイスの理論を構築しなければならない.
このようなインターフェイスは脆弱なので,内在物理学には“脆弱性”という概念が必然的に含まれる.
科学の起源を振り返ってみると,脆弱性が科学の特徴であることは自明であるにもかかわらず,この概念は現代科学から排除されているように思われる.現在私たちが世界で直面している様々な社会問題に対して,私たちは何を語ることが出来るだろう? おそらく,寛大さだけでは問題は解決出来ず,脆弱性を認めることによってようやく解決できるようになるのではないだろうか.
内在物理学は,傑出した科学者による,21世紀の世界への贈り物である.
解説
オットー・レスラーは,複雑系におけるRösslerアトラクタの発見で知られる物理学者である*5.レスラーは「Boy's Surface」におけるレフラー球の元ネタであり,レスラーの唱える内在物理学は「内在天文学」の直接の元ネタである.このように,元ネタの探索という点で既にレスラーと内在物理学を知るべきであることが十分にわかるが,ここでは内在物理学の本質が,円城塔の読解に必要であることを述べたい.
レスラーによれば,内在物理学では,本質的に,現実とは観測者とその観測対象との相互作用としてのみ生じるものである.これはまさに先述の「Boy's Surface」におけるレフラー球の振る舞いとよく一致しており,また「パリンプセストあるいは重ね書きされた八つの物語」におけるWheeler-Feynman吸収体理論.「二十面体関係」「決定論的自由意志利用改変攻撃」における外部からの観測によって生じた系の擾乱などをよく説明する.
観測者と観測対象があり,それらの相互作用として“演算*6”が現れるというのは,物理学では極めて当然の解釈である.例えば,量子力学では,今考えたい粒子の波動関数と,観測者による観測を意味する演算子による演算によって,粒子の状態が求められる.量子力学は観測の基礎を与える理論であり,これは(古典的領域を除いた)すべての領域に対して適応されるべきであるから,このような解釈は当然すべての領域に対して適応されるべきである.
一方で,この解釈は外在物理学的である*7.内在物理学において特徴的なのは,観測者と観測対象が同じ系の内部に存在しており,相互作用によって観測者・観測対象が共に変化する上,どちらも不可分であり,その複雑な変容をその系の内部から記述しようとするところにある.
この特徴がまさに出ているのが「内在天文学」である.「内在天文学」では,観測するごとにその姿を変える宇宙の中で,それでも宇宙を統一的に記述しようとする努力が描かれる.ここには,観測によって変容する観測対象,系の内部から自身らの変容を記述しようとする姿勢が明確に見える.
このように,レスラーと内在物理学への理解を深めることは,円城塔作品の理解を深めることに極めて有用である可能性が高い.残念ながら,本書には邦訳がなく,また円城塔作品の読解に有用な日本語による適当な解説等が存在しないことから,とりあえず書評を翻訳した次第である.
最後に,書評の著者について.両名は共に複雑系を専門とする有名な物理学者であり,津田は北海道大学教授(当時, 現在名誉教授),池上は東京大学助教授(当時, 現在同教授)である.
著作権表示
Ichiro Tsuda, Takashi Ikegami, Endophysics : the world as a an interface, Discrete Dynamics in Nature and Society, 7(3), 213-214, 2002, https://doi.org/10.1080/1026022021000001481, CC BY
