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円城塔「十二面体関係」について

円城塔「十二面体関係」について、物語の幾何学的構造と代数的構造について数学的に検討したのち、物理的考察を加えて作品宇宙における時間の生成機構を見る。

題名は三角関係のもじり。

朝日新聞出版《小説トリッパー》2015年9月号の創刊20周年企画で20人の作家が原稿用紙20枚で20をテーマに書いた競作ショート・ショートのうちの一作。のちに『20の短編小説』として朝日文庫で文庫化された。

以下、テクストとしてこの朝日文庫『20の短編小説』紙版を用いる。

 

作品概論

20がお題なのになぜ十二面体なのかというと、十二面体は頂点を20個持つから。

本作においては、20人の登場人物がそれぞれ十二面体の20の頂点に対応し、頂点と頂点を結ぶ30の辺が登場人物同士の関係を表し、12の面が登場人物たちの織りなす“物語”を表す。これが「十二面体関係」である理由である。

本作の物語を解析するために、まず物語の幾何学的構造を解析する。ここで、“物語”を、頂点と、頂点間の結びつきを規定する辺とで囲む面として構成することを考える。このようにして、すべての辺を一度だけ通ってすべての面を集めてくるような“完全な物語”を構成したい。しかし、これは、Euler の定理より、不可能である。

次に、物語の代数的構造を解析する。本作の登場人物を対象、登場人物間の関係を射と見ると、本作の“物語”は圏を成す。ここで、“物語”を圏として構成することを考えると、これは自明(定義より、この“物語”は圏を成す)。

このように、本作では、物語の幾何学的構成と代数的構成が一見互いに矛盾する結論を導く。しかし、実は、この齟齬は“時間次元”の有無に起因しており、実際、幾何学的構成が“時間次元”を持つ構成であるのに対し、代数的構成は“時間次元”を持たない構成である。

物語の代数的構成は、先に見たように、定義より既に達成されている。すなわち、代数的構成は時間という概念を必要としない。一方、物語の幾何学的構成には、頂点から頂点へ辿っていく向きの決定が必要である。すなわち、作中における時間の流れの向きを決定しなければならない。そしてこの時間の流れの向きの存在こそが、物語の幾何学的構成を不可能にする原因である。つまり、作品宇宙が時間次元を獲得することで、物語はそれまでとは異なる振る舞いを見せる。

ここまでに見た時間の生成は、作品宇宙という系の自発的対称性の破れとして解釈される。すなわち、時間の生成は、読者による外部からの観察によって生じるものであり、時間の生成方向は読者のもつ読みの時間次元の向きに関する自由度に依る。つまり、本作において、読者は、テクストをある一定の方向に読むことによって、作品宇宙の時間に関する対称性を破り、物語を“相転移”させる。

さて、読者によって時間次元を獲得させられてしまった作品宇宙に住む登場人物たちは、時間生成によりしばしば矛盾が発生しているということを理解しつつある。これと同時に、時間の存在と自由意志の否定が等価であるという議論もあり、そうではないとする派閥との論争や、また作品宇宙に矛盾が多分に含まれることも相まってこの議論は非常に錯綜する。ここで、作品宇宙が3+1次元時空であること、その大域構造が十二面体としての対称性を持つことを考える。これらの特徴は作品宇宙の特徴であるだけでなく、私たちが住む現実の宇宙の特徴でもある。つまり、自由意志が存在しないという議論は、現実の私たちをも巻き込むものである。

読者ははじめ自らを作品から独立した存在であると考えていたが、実際には作品宇宙の物理法則を掻き乱した張本人であるだけでなく、読者自身もまた“読まれる者”であった。独立した系を観察していたつもりが、それは実は自分自身を参照することに他ならなかったのである。やはり、私たちはここで円城塔作品に特徴的な自己言及という主題を得るに至る。

数学的構造として構成された物語が数学的に不完全であり、またしばしば矛盾することについて、円城塔は系の自発的対称性の破れによる時間生成という物理学的なアイデアを用いて適切な説明を与えることが出来るとし、さらに自己言及構造を採用することで自由意志の否定という思いも寄らない結論を自然な形で提示する。

このようにして、円城塔は、過去の小説でほとんど用いられることがなかった数学的構造を小説に導入することにより、小説において新たな試みが可能であることを示した。さらに、これまでに見た通り、本作で展開された物語は十二面体を数理的かつ文芸的に解釈することによって原理的に得られる素朴な物語である。したがって、同様の試みによってより複雑な物語を展開させる余地が十分に残されている。三角関係のもじりからはじまり、フィクションとサイエンスの新たな関係性を視覚的に明示した本作は、円城塔が文芸表現にもたらした新しさを知る上で、また文芸表現の新たな境地を切り開く上で重要な位置を占める作品であると言える。

 

検討

今回もAll-Reference ENGINE の「十二面体関係」の項にメモを置いておいたが、今回は小ネタ探し要素がほぼない。ほぼ完全に本稿のメモとなってしまっており、いつも以上に理解し難いメモになっているはずなので注意。

平面における十二面体の展開

本作の登場人物、登場人物間の関係、登場人物たちの織りなす“物語”は、それぞれ正十二面体の頂点、辺、面に相当する。このことを、正十二面体を平面的に“潰した”展開図を書くことで確認する。


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図1: 「十二面体関係」の平面図

橙色が頂点(人物)、青色が面(“物語”)を表す。なお、立体を平面に展開した関係上、図形の外側が12番目の面になっている。

まず飛多麻人[01]に注目すると、吉野昭夫[02]、海上登[03]、浮穴幸子[04]と結ばれていることがわかる。吉野[02]は飛多[01]のほかに山代明美[06]、新長信也[07]と結ばれており、同様に海上[03]は飛多[01]のほかに大丘幹[08]、平松剛[09]と結ばれていることがわかる。これらは作中の記述に等しい。以下同様にして、登場人物20人全員を作中の記述と矛盾なく十二面体の頂点に配置することが可能。

なお、作中で人格の交換が可能であるという記述があるのは、十二面体(正確には正十二面体)が離散的な対称性をもつから。

Euler の定理

大数学者 Euler は様々な分野で足跡を残しており、一口に Euler の定理と言っても、同じ名前で違う内容の定理が複数存在しており、しかもそのどれもが有名で面倒。本作の読解に関わってくるのは、グラフ理論におけるものと、多面体定理として知られるものの2つ。

Euler グラフの定理

頂点と、頂点と頂点を結ぶ辺があり、辺と辺は頂点のみで交わり辺同士では交わらないとする。頂点と辺からなる図形をグラフという。頂点から出ている辺の数を頂点の次数とする。

グラフが連結であるとは、任意の2頂点の間に道があることをいう。

ある頂点から全ての辺をちょうど一回ずつ通って元の頂点に戻ってこれるような閉路をもつグラフを Euler グラフといい、そのような閉路を Euler 閉路という。

また、ある頂点から全ての辺をちょうど一回ずつ通るような路をもつグラフを準 Euler グラフといい、そのような路を Euler 路という。

このとき、Euler グラフの定理が成り立つ。

§ Euler グラフの定理

連結なグラフにおいて、

Euler グラフ \Leftrightarrow全ての頂点の次数が偶数である

準 Euler グラフ \Leftrightarrow次数が奇数であるものがちょうど2つだけある

証明は省く*1

さて、本作における物語の幾何学的構成が可能かどうかという問題は、正十二面体が Euler 閉路をもつかという問題と等価である(幾何学的構成可能 \Leftrightarrow正十二面体が Euler 閉路をもつ)。正十二面体の頂点の次数は3なので、Euler グラフの定理より、正十二面体は Euler 閉路をもたない。ゆえに、物語の幾何学的構成は不可能。

Euler の多面体定理

ついでに、Euler の多面体定理として知られているものについても書いておく。

§ Euler の多面体定理

任意の多面体について、頂点の数を V、辺の数を E、面の数を Fとおくと、 V - E + F = 2が成り立つ。

証明は省く*2

この多面体定理から、3次元空間では正多面体が正四面体、正六面体、正八面体、正十二面体、正二十面体の5つしか存在しないことを導出可能。

なお、作中で、作品宇宙について「十二面体、もしくは同じことだが二十面体としての対称性を持つ」(109頁、春野真樹[20]についての記述より)とあるのは、正十二面体と正二十面体が双対関係*3にあるから。双対とは、ざっくりといえば裏表の関係ということ。正十二面体の面と頂点を取り換えると正二十面体になり、逆もまたしかり。

圏論

実は、圏については作品概論でちょこっと書いたものがほぼそのまま定義になっている。ざっくりと言えば、“対象”があって、対象間の関係を表す“射”があれば圏。

§ 圏の定義

圏とは、対象(object)の集まり \mathcal{U}と、対象 A, Bに対するAからBへの射(map, morphism) A \rightarrow Bの集まり \mathcal{A}との対 ( \mathcal{U}, \mathcal{A} )であって、以下の性質をすべて満たすものである。

  • 各対象Aについて、恒等射 I_A : A \rightarrow Aが存在する。
  • 各射 \alpha : A \rightarrow B, \beta : B \rightarrow Cについて、合成と呼ばれる射 \beta \circ \alpha : A \rightarrow Cが存在する。
  •  \alpha : A \rightarrow B, \beta : B \rightarrow C, \gamma : C \rightarrow Dについて常に、 ( \gamma \circ \beta ) \circ \alpha =  \gamma \circ ( \beta \circ \alpha ) (結合律)
  •  \alpha : A \rightarrow Bについて常に、 \alpha = \alpha \circ I_A = I_B \circ \alpha(単位律)

これが何を言っているかほとんど分からないはず。圏は非常に抽象的な概念で、高度に抽象化されているがゆえに、ほとんどあらゆるものを扱うことが出来、しかもその扱いたいものを知らなくてもその振る舞いを知ることが出来る。実際、作品概論ではその作品内部の情報について途中まではまったく、最終的にもほとんど関知していない。逆に、ここから、本作の物語が数学的構造を小説に導入することに伴って原理的かつ素朴に発生した物語であることが示唆される。本作の驚異的な物語は、数学的構造を文学テクストとして素朴に読むことで得られるのである。

自発的対称性の破れ

自発的対称性の破れとは、その系を記述する基本方程式が対称性をもつにも関わらず、その系の基底状態の対称性が破れてしまうことをいう。これだけだとなにがなんだか分からないと思うので、自発的対称性の破れの具体例を2つ挙げて説明する。が、躊躇なく物理学的な説明を行うので、読み飛ばしても構わない。ここで私が主張したいのは、円城塔が本作で行った議論が物理学的に十分解釈可能なものであるということである。

なお、物理学において、対称性が重要な概念であることは「ムーンシャイン」の解説で既に述べた通り。

自発的対称性の破れの具体例その1: 南部-Goldstone ボソン

素粒子物理学における自発的対称性の破れの有名な例として、ゲージ対称性の自発的破れと南部-Goldstone ボソンが挙げられる。

この場合、基本方程式は Schrödinger 方程式であり、基底状態スカラーポテンシャルの最小値を与えるスカラー場の値として決まるスカラー場の真空期待値

スカラー場として、2次元平面上の回転と同じ SO(2)対称性をもつ、複素スカラー \phiを考える。また、ゲージ対称性として U(1)変換 U = e^{i \lambda}を考える。すなわち、 \phi \rightarrow \phi ' = e^{i \lambda} \phi

なお、この U(1)変換の下で理論がもつ対称性は大域的ゲージ対称性(global gauge symmetry)。

このゲージ変換で不変なスカラーポテンシャルは、くりこみ可能性を考慮して4次式までに限定すると、

 V = - \mu^2 {| \phi |}^2 + \lambda {| \phi |}^4 ( \mu^2 , \lambda > 0 )

のように一意に定まる。

ここで、簡単のため、複素スカラー \phiが実スカラー \phi_1 , \phi_2を用いて

 \phi = \dfrac{1}{\sqrt{2}}(\phi_1 + i \phi_2 )

と書けるとする。すると、先のスカラーポテンシャルは

 \begin{align} V(\phi_1, \phi_2) &= - \dfrac{\mu^2}{2} ( {\phi_1}^2 + {\phi_2}^2 ) + \dfrac{\lambda}{4} {( \phi_1 + \phi_2 )}^2 \\ &= \dfrac{\lambda}{4} { \{ ( {\phi_1}^2 + {\phi_2}^2 ) - \dfrac{\mu^2}{\lambda} \} }^2 - \dfrac{\mu^4}{4 \lambda} \end{align}

のように書ける。この曲面をグラフで表すと、以下のようなワインボトルの底(あるいはメキシカンハット)のような曲面であることがわかる(図2)。

図2: SO(2)模型におけるスカラーポテンシャル

この曲面は明らかに \phi_1- \phi_2平面上での SO(2)対称性をもち、

 \begin{pmatrix} \phi_1 \\ \phi_2 \end{pmatrix} \to \begin{pmatrix} \phi_1 ' \\ \phi_2 ' \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cos \theta & - \sin \theta \\ \sin \theta & \cos \theta  \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \phi_1 \\ \phi_2 \end{pmatrix}

の下でポテンシャルは不変: V(\phi_1 ' , \phi_2 ') = V(\phi_1 , \phi_2)

しかし、ここでスカラー場の真空期待値 \langle 0 | \phi | 0 \rangle

 \begin{pmatrix} \langle \phi_1 \rangle \\ \langle \phi_2 \rangle \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 \\ v \end{pmatrix}

の位置にあるとすると、 SO(2)ゲージ対称性が自発的に破れる。

この位置 ( 0 , v )を新たな原点にとり、そこからのずれを ( G , h )と書くと、

 \begin{pmatrix} \phi_1 \\ \phi_2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} G \\ v + h \end{pmatrix}

ここで、 hは真空の点付近で2次のポテンシャル(質量項)をもつが、 Gはもたない。すなわち、 hは質量がゼロでない粒子を、 Gは質量がゼロの粒子を表す。この Gは南部-Goldstone ボソンと呼ばれる。

つまり、ゲージ対称性が自発的に破れたとき、その自然に選ばれた破れの方向を表すベクトルの動径方向が(標準模型における)Higgs 粒子に相当する、ということ。

ここまで、 SO(2)ゲージ模型を用いて簡単に書いてきたが、この代わりに標準模型を記述するゲージ対称性 SU(2)_L \times U(1)_Yを用いれば、 hは Higgs 粒子に相当する。

なお、本項は林[1]p.26~30を参照した。

自発的対称性の破れの具体例その2:自発磁化

一方、物性物理学における自発的対称性の破れの例として、強磁性体における空間回転対称性の自発的破れと自発磁化が挙げられる。

この場合、基本方程式は Schrödinger 方程式であり、基底状態は自発磁化が発生したあとの系の状態。

物質中の原子間のスピン-スピン相互作用による Hamiltonian の相互作用項を \mathscr{H}_{int}とすると、3次元 Heisenberg 模型で

 \mathscr{H}_{int} = - J \sum_{ i, j } \boldsymbol{S}_i \cdot \boldsymbol{S}_j

と書ける。この Hamiltonian はベクトルを陰に含んでいるが、それらのベクトルは内積をとって結局スカラーとなり、Hamiltonian 全体の向きに関する情報はキャンセルされる。しかし、実際に磁化が起こったとき、もちろん磁化の向きが生じる。このようにして、磁化を記述する Schrödinger 方程式の Hamiltonian には向きの情報がないにもかかわらず、磁化の向きが自然に選ばれ、結果対称性が破れたことを指して、対称性が自発的に破れた、という。

自発的対称性の破れの発生機構

ざっくりとだが、自発的対称性の破れがなぜ生じるのかについて説明する。

簡単に言えば、2つの相反する対称性間でエネルギーを押しつけあった結果、より高いポテンシャルをもつ対称性を守るためにより低いポテンシャルの対称性が自ら破れる、という形で対称性が自発的に破れる*4

標準模型における)ゲージ対称性の自発的破れの場合、Higgs 場とゲージ場の間で余剰なエネルギーの押しつけあいが起こり、より高いポテンシャルをもつ Higgs 場の対称性を守るためにゲージ場が自発的に破れる*5

つまり、系に非常に高いエネルギーが加えられた際、なんとかして安定な状態を保とうとして系は自発的に対称性を破る。その際、元の状態からどれだけずれたかを記述する変数を導入すると、この変数を量子化したものが実際に現れる粒子を記述したものになっている。

作品宇宙における自発的対称性の破れ

さて、作中宇宙においては、“時間回転対称性”が破れることによって時間の流れの向きの獲得するというかたちで対称性が自発的に破れる。 

もともと物語はどの方向に読まれてもいい(=“時間回転対称”)のだが、私たち読者は、読む際には読む方向を必要とする。すなわち、読者が物語を観測すると作品宇宙は“励起”し、この不安定な励起状態から安定した状態に移ろうとした結果作品宇宙の“時間回転対称性”が破れ、破れた方向を表すベクトル*6が自然に生じる。このベクトルの向きこそが時間の流れの向きであり、すなわち時間次元の向きである。

クロノジェネシスと自由意志、そして自己言及

これまでに見た読者の観測による時間生成機構をクロノジェネシスと呼ぶことにしよう*7。読者の観測によって“励起”させられた作品宇宙は、“相転移”に伴って様々な物語的矛盾と時間を生成する。しかしながら、ここで生成された時間次元は空間次元と等価ではない*8。なぜなら、空間的操作が(相対論の許す範囲で)可能なのに対して、時間の早送り・巻き戻し*9などの時間的操作は許されないからである。

もう一段先に進んで考えてみよう。すなわち、「真の時間は“滅茶苦茶”な進み方をしているだが、われわれはエントロピーが増大する方向(=“時間”の進行方向)にしか時間を認識出来ない。」この認識に関与しているのは脳のみに限られる。したがって、(物理学では問うことができないのだが、)物理学考察に従えば、この時間なるものに関する問題を引き起こしている原因は、脳であると考えられる。

また、クロノジェネシスの機構を3+0次元から3+1次元への拡張であるとすれば、私たちの住むこの宇宙でも同様の機構が発生したのではないかと考えることが出来る。ここで、作品宇宙の大域構造が十二面体構造または二十面体構造であったことを考えると、私たちの宇宙の大域構造が弱い十二面体構造をしていることから、クロノジェネシスが私たちの宇宙でも発生していたとの考えの傍証が得られる。もしクロノジェネシスが実際に生じていたとなると、クロノジェネシスには“読者”が必要であったことを考えて、私たちを読んだ“読者”が高位存在として存在するということになる。こうして、クロノジェネシスが作品宇宙の中でのドタバタだと思っていた私たち読者は、私たちもまた“読まれる者”であったことを知る。すなわち、自己言及構造の中に自分たちがいることを悟るに至る。

ここで注意して欲しいのが、本項「クロノジェネシス〜」は自分の理解が追いついていなくて論理が弛緩気味であるということ。主張したかったのはクロノジェネシスと自由意志が関連していて、クロノジェネシスを認めるならば自由意志は否定しなければならないだろうということ。さらに、3+0次元が3+1次元に拡張されることがクロノジェネシスだとすれば、私たちの宇宙と作品宇宙が相似であることから、私たちを読む“読者”の存在が示唆されるということ。要は、円城塔は、原稿用紙20枚というわずかな分量の中で、一見異常な宇宙を構成しつつ、実は私たちの宇宙の驚くべき事実を提示していたのである。

なお、先に掲げた「真の時間は〜」という仮説はかつて友人Kから聞いたアイデアであり、私によるものではない。

数理文学試論

ここで、数理文学というものについて考えたい。数理的に文学テクストを構成する、文学テクストを数理的に解析するなど、文学テクストを数理的に扱う営みを数理文学としよう。

数理文学の手法としては、(どちらも自明ではあるが、)既にあるテクストを数理的に解析してみることと、数理的にテクストを構成することの2つが考えられる。しかしながら、一般の自然言語から成るテクストを数理的に解析することは通常困難である。したがって、結局のところ、数理文学とは、数理的に解析可能な形に構成されたテクストを、数理的に解析する営みのみに限られてしまう。期待よりも小さくまとまってしまったかもしれないが、この記事で見た通り、数理文学という手法は「十二面体関係」から十分に豊かな物語を引き出すことができた。数理文学という営みは、書き手にとっては物語る上での新たな地平となるだろうし、読み手にとっては適切な読みを、あるいは新たな読みをテクストから引き出すための重要な手法となるだろう。

もちろん、数理的手法には明確な適応限界が存在する。数学的・物理学的に厳密に定義された語を、語感だけでこねくり回すことは厳につつしまなればならない。まあ、扱いたい数理的概念の明確な適応限界を把握しないまま使うのはやめようね、という至極当然の話ではあるのだが。

 

感想

最近ちょっと圏論と数理論理学の勉強をしていて、その成果がすぐここに現れたので楽しかった。(実のところ、円城塔が圏と不完全性定理を使用しているらしいので勉強した、ということなのだが)

私がこの作品を読むために用いた手がかりを示すことで、ほかの作品を読み解く手がかりになるだろう。本作の読解のポイントは、表面に見える構造があるならその先に少なくとももう一段は仕掛けがあること、なにかが許されるならば必ずそれが存在するという物理学の基本的な考え方、そして自己言及。

本作において、表面に見える構造とは、十二面体構造。これが本当に成り立つか、という検討をしっかりと行うべきである。実際に折り紙みたいにして多面体を作って考えてもいいし、この記事のように平面における展開図を書いてもいい。あるいは、頭の中でも。そして、もう一段先の仕掛けというのは、それが成り立たない場合があって、それが時間次元の有無に依る、ということ。これは数学だけでは到達不可能で、実際に数式を用いて示した通り、物理学的考察が必要。まあ、非専門家がこれに気づけというのは無理だろう*10

なにかが許されるならば必ずそれが存在する、というのは、太字で強調した通り、物理学における重要な(しかしあまり物理学の外では知られていない)概念。例えば、Dirac 方程式によって許される反粒子は、その発表の4年後に実験的に発見されている。(Dirac 方程式:1928年、Anderson による陽電子の発見:1932年)で、作中で許されているのは時間逆行と多宇宙理論*11。これら2つの概念から、物語の構成方法とその齟齬の原因が時間生成にあることが明確に読み取れる。

自己言及は、経験上、円城塔作品の読解のひとつの指標になっている。最初は自己言及が見えなくても、自己言及という主題が見えるようになるまで読む、あるいは読み進めて自然に自己言及が見えてくると、作品全体の見通しが急に良くなる。逆に、自己言及を主題としない作品が円城塔作品にあるとすると、指針を失って読めなくなる可能性がある。しかしながら、自己言及の発見を指針とするのは円城塔作品の読解を進めるにあたって非常に有用なので、もし円城塔作品読解に取り組む人がいたら、参考にしていただきたい。

あと、今回は系の自発的対称性の破れが作品の本質に絡んできていたので、ついその話についても書いてしまった。特に、南部-Goldstone であるとか Higgs であるとか、ここらへんの話は自分の本業の方の専門の根幹をなす話なので、ついつい筆がのってしまった。やっぱり数式をぐりぐりいじって理解出来てきたときが物理をやっていて一番楽しい瞬間のひとつ。ただ、クロノジェネシスの説明に必要だったとはいえ、Higgs の話で場の量子論をなんの断りもなしに導入してしまったので理解不能なものになってしまったように思う。これについては反省している。

これまで書いてきたことに関連するが、今回は色々と非常に申し訳なく思うことが多かった。おそらく、この記事を読んでも、「十二面体関係」本編と同等か、それ以上に理解しにくかったことだろうと思う。しかしながら、本作については、作品自体が厳密な数理的解釈を許すものであったので、それに応じて解説でも数学的・物理学的に厳密に議論を行った。円城塔は読者を煙に巻く難解で衒学的な記述をすることがあるが(本作では特になかったように思うが)、私の解説では意図して必要以上に難解にすることはないと宣言する*12。もちろん、数学や物理なんかをいちいち引っ張って来ないで説明出来ればいいのだが、厳密で明快な議論のためにどうしてもそうせざるを得ない。円城塔が「Your Heads Only」文庫版139頁で書いていることを借りれば、「こんな言葉を日常のものとして過ごしている人々が少数なりともいる」ということ。

円城塔が真に取り組んでいるのは、過去の小説には導入されていなかった構造を導入し、物語の裾野を広げることなのだと思う。思えば、20世紀の文学は Frued 心理学や実存主義など、当時最先端の科学的成果であった概念を小説に導入してきた(まあ、Frued 心理学は間違っていたのだが)。それなら、現代文明を確かに支える数学や物理学の知見を小説に導入しない手はないだろう。円城塔の場合は、数理科学だけでなく、初期から一貫してプログラミングも創作に取り入れていて、最近の文字や言語に関する作品群は数理的手法の導入からプログラミングの導入に問題意識の軸が移ってきた証拠と言えるかもしれない。

また、こういう面白いことを考えることが出来る。文学を(厳密には自然言語を)数理的に記述しようとする試みを通して、私たちは、新たな数学の体系を得ることが出来るかもしれない。実際、物理法則を記述するために導入された様々な記法は、のちに豊かな数学をもたらした*13。そもそも、情報理論は量子観測理論に従うべきで、文学も情報を扱う媒体であるので、文学を物理学的・数学的に扱うのは当然といえば当然の発想なのだが。

そろそろ本格的に忙しくなってきたので、2020年内にもう一本「for Smullyan」についてのごく短い解説を公開して、そのあとは半年後ぐらいに「良い夜を持っている」「これはペンです」「 { ( \mathrm{ATLAS} ) }^3 」「Beaver Weaver」の解説を公開していくことになると思う。無理のない範囲で精力的に活動が続けられますように。

 

付記

あまりこういう形の読みが好きではないのでここに書くことにするが、この作品からはもうひとつ、面白いが危うい主張を読み取ることが出来る。すなわち、“可能な物語の中には、存在するのだが提示不可能な物語が存在する。”

これは、物語の幾何学的構成を行うときに示せる。すなわち、“完全な物語*14”を幾何学的に集めてくるとき、集めきれなかった“物語”が存在することを私たちは知っている。これが可能なのは、私たちが作品宇宙に対して超越的(メタ的)であるから。

なお、先の命題は「for Smullyan」で議論される命題に似ており、「for Smullyan」ではより厳密な形でより興味深い命題を探求することになる。すなわち、“可能な文字列の中には、真ではあるのだが印刷不可能な文章が存在する。”

 

参考文献

[1] 林青司『素粒子標準模型を超えて』、丸善出版

[2] レンスター『ベーシック圏論』、丸善出版

*1:数学書あるある(著者のサボりとも言える)。証明は高校数学の美しい物語参照。

*2:証明は高校数学の美しい物語参照。

*3:なお、後述する圏論においては、ある主張が成り立つときその双対な主張も成り立つことが多いことが知られている。

*4:実は、「十二面体関係」作中にこれと等価な記述が存在する。104頁、岡原司[13]に関する記述より「岡原によれば時間とは〜(中略)〜秩序をまもるために排出される何かである。」

*5:系に与えるエネルギーをさらに高めて、Higgs 場の対称性を破れるくらい非常に高いエネルギー(約250GeV)を真空に与えると、Higgs 粒子が出てくる。LHC、ILCなどの加速器で Higgs が出てくるのはこのため。このときに必要なエネルギー約250GeVは、Higgs 粒子の質量約250GeVに等しい(自然単位系  c = \hbar = 1を用いた)。一般向けには、敷き詰められた Higgs 粒子(=Higgs 場)に高いエネルギーを与え、Higgs 粒子を“叩き出す”ことで得られる、と説明する。

*6:比喩としてではなく、南部-Goldstone ボソンの例で見た通り、実際的なベクトル。

*7:素粒子物理学宇宙論におけるバリオジェネシス・レプトジェネシスにちなんで。競走馬にはG1 4勝をあげた同名馬が存在するが、ここでは無関係。

*8:相対論では空間次元と時間次元を等価に扱うが、量子力学では時間は物理量ではなくパラメータとして扱われる。量子力学において、時間と空間は厳密には等価ではない。

*9:完全に余談だが、この早送り・巻き戻しという言葉を使うあたり、円城塔も人間なんだな、と思う。現在主流のインターフェースは早送り・早戻しのはず。巻き戻しはビデオデッキ時代の遺物。

*10:俺の頭の中は、十二面体っぽいな -> 十二面体で構成出来たわ -> じゃあ頂点が人物で、辺が関係で、面が物語だな -> 物語をすべて集めることは出来なくない? -> 空間的には対称だけど、時間が対称性を破ってる -> 記述からすると時間逆行と多宇宙がOK -> じゃあ時間が自発的に破れてるんだな -> 破らせてるのは読者だな -> つまり自己言及か という感じ。他方、幾何学的構造を成しかつ代数的構造を成すのに、互いの主張が食い違う(幾何学的に構成不可能/代数的に構成可能)のはなぜかと考えたとき、時間次元の有無が差異として見られたことから、時間生成が注目すべきものであると結論される。

*11:多世界解釈ではない。時間次元に関する自発的対称性の破れの向きの自由度によって、可能な宇宙は無数にある、ということ。一般に、どの宇宙に相転移するかは物理学では問えない。

*12:ここで嘘つきのパラドックスに似た決定不可能的問題が発生するが、このような難解な解説を私はしない。発生してしまったら、冗長であっても厳密性を最優先して逐一言及して対処する。

*13:例えば、一般相対論と微分幾何学量子力学と Hilbert 空間・作用素論・群論統計力学とエルゴード理論。

*14:ここでは、閉路ではあるがすべての“物語”を集めきれていない、“準完全な物語”というべきものを考える。