学部入学以降付けている読書録からの抜粋その12。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。
- 2019.3.19 ケン・リュウ『母の記憶に』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
- 2019.4.10 ケン・リュウ『生まれ変わり』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
- 2019.4.22 ピーター・ワッツ『巨星』創元SF文庫
- 2019.5.3 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』ハヤカワ文庫SF
2019.3.19 ケン・リュウ『母の記憶に』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
遅ればせながら。収録作で3作挙げるならば、「母の記憶に」「シミュラクラ」「万味調和」。前回を超えるものはなかったように思う。注目するとすれば、「存在」が『折りたたみ北京』の「神様の介護係」とテーマを共有する作品であるというところか。現在、日本語で触れられる中華SFはそのほとんどをケン・リュウによる編訳を通じてもたらされたものであり、いかに偉大であっても一個人を介したものになっているということは重ね重ね確認しておかなければならない。
コメント
ケン・リュウの単著短編集2冊目(銀背換算)。書いてある通り、家族ものの「母の記憶に」「シミュラクラ」の印象が強い。ただ読後感はあまり良くなく、そもそもケン・リュウの家族ものはほとんど読後感の悪いものばかりに感じていて、現実で消耗しているのにその上わざわざフィクションでも好んで気分を害しにいこうというモチベが自分にはないので、読む気が失せつつある。
世の家族ものの創作物にはまずまずいい気分になるものがないように感じ、あれらを望んでいる人はなんなのだろうと思うことがある。そうであっても、それらのような創作物を排斥することは意図していないし、それらのような創作物を求める人間を否定もしない。それは俺には理解出来なかっただけで、俺向けではないのだとして鑑賞しなければそれで終わりとなる。
現在は文庫化され、ハヤカワ文庫SFに2分冊され収録されている。
2019.4.10 ケン・リュウ『生まれ変わり』新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
表題作はじめ、前半の作品群にはひどく苦しめられた。ケン・リュウの政治的要素(これには『紙の動物園』で既に気づいていたが)が悪くというか要らない方向に効きすぎていると感じた。そういうものにはSFの中では触れたくない。いいと思ったのは絵文字三部作と「化学調味料ゴーレム」、「隠娘」、ここから一段落ちて「ビザンチン・エンパシー」。次の短篇集はどうだろうか。
「紙の動物園」「良い狩りを」「天球の音楽」「時計仕掛けの兵隊」レベルの作品を連発できたらそれはもはや人間ではないので、この本は逆にケン・リュウの露骨な人間アピールであるとも言えるかもしれない。そういう点では安心出来る一冊だった。
コメント
ケン・リュウの単著短編集の3冊目(銀背換算)。前2冊と比較すると明らかに水準が落ちており、特に表題作「生まれ変わり」はオチまで明らかにバレバレで拍子抜けした。これはケン・リュウが下手ということではなく、50作ちょっとしか短編がない作家の短編集を出しまくっていれば、当然微妙なのが紛れ込んでしまうという話でもあると思う。
ケン・リュウ作品では「隠娘」などの歴史ものが概してよく肌に合う。これは歴史が好きなこともあるが、ケン・リュウの歴史ものの水準が高いこともあると思う。依拠する元の話があるタイプの作品が得意で、換骨奪胎に長けた作家のようだということも影響しているだろう。これにはプロットを描いたり推敲をしたりしないなどというようなケン・リュウ独特の創作法が影響しているように感じる。
こちらも現在は文庫化され、ハヤカワ文庫SFに2分冊で収録されている。
2019.4.22 ピーター・ワッツ『巨星』創元SF文庫
読みはじめはだいぶ苦労した。とにかくわかりにくいので人にすすめるのは気が引けるが、個人的には随分楽しめた。面白かったのは「天使」「炎のブランド」「付随的被害」そして「島」。「島」が明らかに別格。ただ前の2作と合わせて3部構成という形でなければ厳しかったと思う。デジタル物理学の考え方については懐疑的。態度自体は面白い。
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ワッツを読むなら、いきなり長編『ブラインド・サイト』を読むよりもこの『巨星』でワッツの考え方を理解した方がいい。そういう意味では、おすすめの短編集。
書いてある通り、「島」はこの作品集でも明らかに別格で、この短編集は最後に置かれた「島」を読むためにそれまでの作品全部があるというような構成になっている。「天使」で読みづらさを認識させ、途中のギャグ作品で厳つさを和らげながらワッツの考え方に少しずつ頭を慣らしていき、三部作の前2作「ホットショット」「巨星」できっちり誘導をつけ、「島」を読ませる。大変丁寧に設計された短編集なので、読むときは順番を抜かさずにきちんと読むことをすすめる。短編集はやはりこうした編集意図の見えるものに出会えたときが楽しい。
2019.5.3 グレッグ・イーガン『ディアスポラ』ハヤカワ文庫SF
徹底的に物理のつまらなさ(裏を返せばそれこそ物理の面白さなのだが)を示し、数学の面白さを示されてしまうと何も言えない。SFの面白さをあれだけ示しておいて、最後にそれを全て数学に持っていってしまうあたり、やはりイーガンは数学の人であって物理の人ではない。ただ、最初に読んだ時とは違ってイーガンに反論出来るのは大きく成長した点。
人にすすめるという点ではどうだろう。特殊相対論を前提に群論、一般相対論、相対論的量子力学あたりは一通り知っておかないと論点を追えないし、古典統計力学における超球*1の導入、量子統計力学におけるフェルミ゠ディラック粒子やボーズ゠アインシュタイン粒子の概念や観測可能量(オブザーバブル)は知らないと仕掛けに気づかないし、なんだこのSFは。初見殺しは伊達ではない。実際最初に読んだ時には気づいていなかったわけで。冒頭のヤチマのくだりで弾かれるようではその時ではないということか。
面白かったが、『万物理論』の方が良かったとも思う。「ワンの絨毯」は何度読んでも面白い。『ディアスポラ』が面白いのは、一つ一つのエピソードが面白いということも大きいだろう。所詮厳ついヴォークトなので、細部をおいておけば割と古典的な風味もある。結局、この作品は誰が楽しむのだろう? ラグランジアンの導入なんて解析力学までやらなければ知らないわけで。
面白かった。いろんな人から詳しく読んでくれとは言われていた。学びを経て自らの成長を強く実感した読書だった。平成最後かつ令和最初の読書がこれで良かったと思う。イーガンは長編よりも短編の方が上手い。ディアスポラが面白いのは、これは短編の積み重ねで長編になっているからということもあるだろう。
コメント
この『ディアスポラ』はイーガンの姿勢が良く見える作品だと思う。イーガンは、本質的に数学の人であり、物理学はそこまで興味がない。物理学を直接に扱った作品(直交三部作など)もあるにはあるが、真に物理学的関心があるようには見えず、むしろ物理学を対象にして数学的操作を楽しんでいるというか、数学的操作によって物理がどのように変化するかという方に関心があるように見える。
イーガンは、本作において、数学こそ不滅の汲めども尽きぬ唯一の知的体系であると主張する。しかし、これに対しては物理学から数学の新分野が開拓されたことは数多くあることを指摘したい。宇宙が終わろうとも、その先の宇宙にあるべき物理は、また新たな数学を要求するはずである。
だからこそ、イーガンには『ディアスポラ』ではもう一歩先を行って欲しかったというのが物理を知る読者としての思いなのだが、それが分かっているのならイーガンほどの人が書かないはずがない。この点においてイーガンは失敗しているわけだが、イーガンがどこまで書けていてどこから書けていないのか、それを正しく把握することが一般に難しい以上、イーガンを超えるヴィジョンを見ることは叶いそうにない。





