SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

読書録抜粋7

学部入学以降付けている読書録からの抜粋その7。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。

 

2017.11.10 草野原々『最後にして最初のアイドル』(電子書籍

危うさと理性の奇妙な融合。クソだが、明らかにここ5年くらいで一番面白い日本SF。改めて読んでも、やはり面白い。初めて読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。アイドルのための意識ではなく、意識のためのアイドル。馬鹿話からはじまって壮大な宇宙論・意識論にまで発展するとは。『地球の長い午後』的な珍妙な生物を使いながら、破綻なく綺麗に閉じて、これも良かった。破綻しているという説はある。

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これが初読ではないようだ。初読は真冬だった記憶があるので、この電子書籍が発行された2016年末の時点で読んでいたと推察される。

 

2017.11.15 草野原々『エヴォリューションがーるず』(電子書籍

けもフレ」×「ソシャゲ」×「異世界転生」の合体事故。馬鹿みたいな設定で話が進み、突然我にかえったように理性的になるのが原々の特徴。今回もなかなか面白かった。本人が楽しく書いているようでなにより。ただ、正直話の展開が似通っていて新規性がなかったので、次はもっと違う側面が見えてくると嬉しい。

コメント

ここに書かれたことは今でもそう思っている。どれを読んでも面白いのだけど、話の展開は基本全て同じなので、もうちょっと芸が広がるとより楽しいのだが。まあ、変に頑張ろうとして元の味を損なうことにはなってほしくないので難しい。

なお、『最後にして』と『エヴォが』はハヤカワ文庫JA『最後にして最初のアイドル』で両方まとめて読める。

 

2017.12.6 ケン・リュウ『天球の音楽』ハルコン・SF・シリーズ

ハルコン実行委員会による豪華な同人誌。ケン・リュウの短編が4編収録されており、その中での一番は表題作「天球の音楽」。拡張現実もので、作品世界は地続きの近未来となっている。埋込式拡張視野装置を遺伝的原因のために体内に入れられなかったがために、埋込式拡張視野装置という才能の壁に未来を阻まれることになる。しかし、才能に夢を阻まれるという点では、今も昔も変わらないと主人公の妹は言う。残酷な話でもあるが、確かにそう。自分にとってもタイムリー。この短編を読んで、自分の中のケン・リュウに対する評価は完全に定まった。この人、政治的とかアジア的とかいう作品から離れた方が、元来の短編の技術を活かせるのではないかと思う。

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主人公は数学者。優れた数学的才能を持ち、具体的な数学的対象を抽象化する能力に長けていたのだが、知能の拡張装置を埋め込めない体質で、拡張装置の援護によって数学的対象を具体的なままに扱える後進に追われてポストを失ってしまう。

失意のうちに主人公は妹を訪ねる。妹は兄である主人公と比較し、数学の道を諦め、生物学へと進んだ。どのタイミングであっても、才能によって夢は容赦なく阻まれ、与えられたもののうちで生きていくしかないと妹は言う。

ケン・リュウの作品には、取り返しのつかない状況が頻出する。既に何かを失った先で何を思うのか、刺さる時にはとことん刺さるのがケン・リュウ作品の特徴だと思う。ケン・リュウ作品ではこの「天球の音楽」が一番好き。ただ、才能云々という話に関しては、ケン・リュウハーバード大卒の弁護士かつ元Googleプログラマというエリート中のエリートということを考えるとなんか不服といった感が残る。

技術によって駆逐された才能というテーマは、技術によって可能になった(芸術的)才能をテーマとしたギブスン「冬のマーケット」と対照的。なお、「天球の音楽」を悪意のもとに加速させると筒井康隆「こぶ天才」になる。

 

2017.12.18 グレッグ・イーガン『しあわせの理由』ハヤカワ文庫SF

SFM700号のATB海外短編2位に輝いた表題作を擁する短編集。イーガンといえばのハードSFばかりではなく、探偵ものやゴシックホラーもある。バランス的には非常に良い短編集だと思うのだが、つくづく「ボーダー・ガード」が邪悪。これ、デタラメ量子力学のくせに殺意が高い。好みは「しあわせの理由」「ボーダー・ガード」、他には「道徳的ウイルス学者」「愛撫」「チェルノブイリの聖母」もいい。特に「チェルノブイリの聖母」はミステリ読みにも評判いいのでは。

病気のため幸せを常に感じるぼくは、治療によって幸せを全く感じなくなった。そして他人の幸福の尺度を借りて元の生活を取り戻そうとする。最初の生意気な子供が、治療によって少ししおらしくなったり、イーガンの描く恋愛も面白いが、なんといっても最後の悟りが魅力的。言われてみれば、自分達は皆日々誰かに影響を受けて変容しつつ生きている。

コメント

これが初読ではない。確か部会に合わせての再読だったはず。今でもイーガンは変わらず好きで、どれでも好きと言える数少ない作家の一人。特に短編はどれもいい。

イーガンがいいのは、科学重視のハードSF作家なのに、小説の技量が大変に上手なこと。無駄な描写をしないし、一見無駄に思える描写でも、それが実は作品理解に必要だったことがわかるような構造になっているのがいい。

特に、最初は不明瞭なのだが、読み進めていけば作品世界の様子や語り手の詳細が自然と理解出来て、状況を全て飲み込めた時、それまでの描写全てに納得がいき、作品世界が晴れ上がって見える感覚がいい。この感覚はおそらくティプトリー由来で、60年代ニューウェーヴから始まったSFにおける小説的技巧の探究が、シルヴァーバーグの言う“地下5000フィート”*1を経て80年代でサイバーパンクを生み、そして90年代のイーガンとチャンに繋がったということだろう。イーガンが好きなのは、過去のSFの影が見えるからかもしれない。

*1:ティプトリーの第二短篇集『愛はさだめ、さだめは死』の序文から。この序文において、シルヴァーバーグは、ティプトリーの叙述の特徴は「物語をその結末から、そしてできることなら、暗い一日の地下五千フィートからはじめ、そしてそのことを教えるな」というものだと指摘した。