SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

読書録抜粋15

学部入学以降付けている読書録からの抜粋その15。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。

 

2019.8.7 ウィリアム・ギブスン『クローム襲撃』ハヤカワ文庫SF

一番は「冬のマーケット」。改めて、技術革新によって潜在的芸術家が呼び覚まされるというヴィジョンがものすごく今の時勢に合っているというか、まさに自分がそんなことをしているというか。伊藤計劃がこの作品が好きだったということもあるが、それを超えて“現在”が現在になったことが自分の中では大きい。この本の中では、後半の「ニュー・ローズ・ホテル」以降の4作はやはり傑作。他は「ガーンズバック連続体」「ホログラム薔薇のかけら」「記憶屋ジョニイ」。

コメント

ゴミと芸術。ギブスン「冬のマーケット」は、近未来の都市を背景に、技術によって可能になった芸術がゴミの山の中から自然に立ち上がる様を描く。サイバーパンクが好きなのは、ゴミと都市のような近未来の自然な情景と、そこに何かが自ずと立ち上がり、自律して走り出していく様が好きだから。そこに立ち上がるものは、あるときはウェブであり、ここでは芸術であった。サイバーパンクの魅力は、特定の人間の意図を超え、自由で開かれた(時に危険な)場の生成にあると思う*1

技術によって可能になる芸術やそれを生み出す才能が示される一方で、過去の知られざる才能を考えてしまう。現代に数多くの才能があるならば、過去にも当然才能がありつつもその才能に気づくことなく死んでいったものたちがいたはず。『万葉集』の詠み人知らずの東歌に特別な叙情を持つのも、本来失われていただろう才能に触れることが出来たことによるものかもしれない。

近未来を描いているはずのサイバーパンクなのに、過去ばかりを論じており、いやに叙情的になっている。それは「ガーンズバック連続体」があり得たかもしれない未来の姿を現在に幻視する作品であることもあるだろうし、サイバーパンクが本質的に内省的であることも大きいだろう。過去に想像された外挿と実際の現実との乖離を見ることの面白さはSFの大きな魅力のひとつであり、形を変えて現代のSFまで綿連と受け継がれているSFの特徴であるとも思う*2

 

2019.8.10 ポール・アンダースン、ゴードン・ディクスン『世界SF大賞傑作選1』講談社文庫

3巻がないことで有名なヒューゴー賞受賞作アンソロジーの第1弾。面白くなかったので語ることがない。最近のヒューゴー・ネビュラ両賞の受賞作があまりピンとこず、遡って読んでみたがダメなものは昔からあったということがわかった。

コメント

収録作はアンダースン「王に対して休戦なし」、ディクスン「兵士よ、問うなかれ」。話の筋を全く覚えていないのでマジで全くピンと来なかったものと思われる。

 

2019.8.23 伴名練『なめらかな世界と、その敵』早川書房

語るべきは書き下ろしの新作「ひかりより速く、ゆるやかに」。途中までSF的にはっきりと説明してくれるか不安だったが、無用だった。伴名練がそんなこと判断出来ないはずがない。流石の一言。どの作品をとっても外れがないのは本当に素晴らしい。

そして京アニの件。薄々察してはいたが、こういうことか、と。それでも、時間は前後するというか、校正中の出来事だと聞いているので偶然の一致となることだと思うけど、こうしてフィクションが負けない、と言う姿を見られたのも良かった。

コメント

収録作の中での個人的なベストは「シンギュラリティ・ソヴィエト」だが、これはラストが全く予想できなかったこと、作品に登場するヴィジョンとパワーワードの数々にどハマりしたことによるもの。客観的に出来を判断するのであれば、全作どれも甲乙つけ難いという感じになるだろう。

「ひかりより」に関しては、この作品が伴名練作品にしてはやたらと文量が多いことに注目したい。それはおそらく、過去の諸作品と本作の必要としたラストが異なっており、なんとか必要とされるラストに辿り着くまでに悪戦苦闘したことの現れだろう。過去のSFを多数引きながら、それらが示した結論とは異なるものへとなんとか至ろうとする、その必死な姿勢が本作のクライマックスの魅力になっていると思う。作中の人物の姿勢に作者自身を投影する読み方は適切ではないかもしれないが、本作にはそう読んでしまうほどの耐え難い熱量がある。

 

2019.8.27 F・M・バズビイほか『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』ハヤカワ文庫SF

時間SFを意識して読むのはいつ以来になるだろうか。純粋な、SFらしいSFを読むのも単純に面白くていい。一番は無論チャンの「商人と錬金術師の門」。明確な捨て作が無いのが素晴らしい。以前『ボロゴーヴ』に入っていた「旅人の憩い」をまた読んで評価が上がったのは収穫かもしれない。飲み込みづらいのでわかりにくいが出来はいい。ボブ・ショウ「去りにし日々の光」はガジェット一本の勝負で潔い。これで後味が良ければ完全に好みだったのだが。

コメント

時間SFは、往々にして後味の悪いものが多いように思う*3。そもそも時間というものは不可逆で、生きていれば後悔することは自然と増えていくものであり、それを捻じ曲げることが時間SFの面白さの本質なのだから、時間SFを読むならば後味の悪さに触れる機会は自然と増えてしまうということになるだろう。

その点、「ウィネトカ」が後味の悪さのバランス感で結構好きなのだが、似たテーマのイーガン「貸金庫」の方が好きすぎるので若干評価が下がってしまう。日本ほど時間SFが人気な国はないというが、中国でも時間SF(特に『時をかける少女』)が異常なまでに人気なところを見るに、アジア人には時間SFが共通して好まれるのかもしれない。

 

2019.9.1 アーサー・C・クラークほか『SFマガジン700海外篇』ハヤカワ文庫SF

再読してみると、評価が変わる作品も多くある。イアン・マクドナルド、ル゠グィンの作品の魅力を理解出来たのは大きかった。イーガンも知恵をつけてきたのでものすごく見通しが良くなった。素粒子物理を軸にした作品なので、登場人物の言葉すべての真偽が把握出来て面白かった。一度の印象、よく伝わらなかったと言うことだけで判断してはいけない。

コメント

『ウィネトカ』でもそうだったように、一度読んでよくわからなかった作品を再度読んだ時、評価が向上する作品がある。SFが好きだからと言って、読んだものを全部面白く感じるわけでもない。

ここに挙げている作品以外では、マーティンの「夜明けと共に霧は沈み」が強く印象に残っている。SFであるにも関わらず、科学によって未知が攻略され失われていく様を描いた作品で、科学の全能性に酔いすぎないように気づかせてくれた作品。

 

2019.9.6 フレドリック・ブラウン『天使と宇宙船』創元SF文庫

いつ読んでもどれもなかなか傑作。「ミミズ天使」を改めて読むと、非常に円城塔的。「諸行無常の物語」と同じくタイプライターもののSF。こうしてみると、時代を感じるものの底がまた面白い。「気違い星プラセット」はプロト三体。ジョアンナ・ラスが言う通り、ブラウンの作品には話の流れを澱ませるような文章が含まれており、もう少し磨き上げられるのではないかと思う。また同じ作品を読み比べた時、星新一訳の方がいいと感じる。まあ、星新一の言葉になってしまっているので、ブラウンらしさは確かに減ずる。

コメント

ブラウンは好きなのだが、流石に同年代でブラウンを全部読んだとか、ブラウンが好きだというファンに出会ったことは一度もない。訳が古びているということもあるだろうが、それ以上にそもそも読まれていないのではないかと思ってしまう。

というわけで、円城塔が好きな人には、本書収録の「ミミズ天使」(現在は改題されて「天使ミミズ」)を強く勧めたい。あまり詳しく話すとネタを割ってしまうので書けないが、読めば円城塔っぽさがよくわかるはず。いい感じの馬鹿SFなので理屈のある馬鹿話が読みたい人にもお勧め。

*1:なので、企業主導の仮想空間は本質的に意味不明なものであると考えている。現在のメタバース事業の迷走は、一般大衆はそもそもそんなものを求めておらず、また従来のメタバース利用者が他者から与えられることを好まないことによるだろう。実際、自分自身VRChatは好きだが、お膳立てされたメタバースには全く興味がない。

*2:個人的に、社会のあるべき姿をSFに求めるのは極めて危険だと思っている。そもそもSFは何か極度に誇張して描くことに面白さがあり、多くの場合はその異常発展による弊害を面白おかしく書いて作品としている(例えばAIでは星新一「おカバさま」)。SFは暴走させるだけさせて責任は取らないので、政治判断などに無責任なSFを介在させるべきではないと考えている。まあ、商業的には売れることこそが正義なので、そこに関して反対するつもりはない。

*3:時間SFで最も有名であろう筒井康隆時をかける少女』はかなり後味が悪く、梶尾真治「美亜に贈る真珠」も世間での手離しの好評が自分には信じられない。