SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

読書録抜粋21

学部入学以降付けている読書録からの抜粋その21。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。

 

2020.11.3 野崎まど『野崎まど劇場』電撃文庫

いくつか勘所のわからないものもあったが、そこまで突拍子のないものはなく、普通に面白かった。「バスジャック」「ビームサーベル航海記」あたりがよかった。2巻目の方も読んで、散々読め読め言われている『(映)アムリタ』を読むことにしようと思う。そういえば、これが人生初の電撃文庫か。

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「お前は野崎まどを読むべきだ」というのを散々言われてきて、先日も同じことを同じ人から言われた。ジーン・ウルフについても同じようなこと(こちらは「読め」とのことなのでより強い)をいわれており、絶対違うのはわかっているが、俺のなかのフォルダ的にはウルフと野崎まどが同じフォルダに格納されている。

さて、第一世代をはじめ、古いSFが好きなので、こういう馬鹿なノリは大好物。人の言葉を信じていないわけではなかったが、本当に好きかもしれない。

 

2020.11.5 野崎まど『野崎まど劇場(笑)』電撃文庫

より独創的なのは1巻の方か。冒頭の「白い虚塔」もよかったが、ベストは「深窓の大令嬢」。これは普通にSFとしてよかった。あと絶対「ワイワイ書籍」の文豪の挿絵のモデルは筒井康隆

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文豪のモデルとして筒井康隆が使われるようになるとは。無論狙ってのことだろうが、それにしても文豪じみてて面白い。文アルに“江戸川乱歩に見出された文豪”が登場すると聞いて、筒井康隆だと思ってアカを作って準備してたのは俺だけじゃないと思う(実際には夢野久作だった)。

 

2020.11.28 小川哲『ユートロニカのこちら側』ハヤカワ文庫JA

これがデビュー作というのがつくづく恐れ入る。筆力は既に申し分なく、本格化している。個人的な好みは4章「理屈湖の畔で」で、極めて頭のいい人の小説という感があってよい。解説で4章が好きなら『ゲームの王国』を、という言があり納得。そしてこの解説がまたよく、小川哲特有の論理構造(甲か乙かという論争をするとき、既に甲か乙を含む何かしらの立場に立っており、それに自分は呑まれない、というもの)が文系大学院生のメタ的な読解なのでは、という指摘は自分では絶対に出来ないものだったので、これがよかった。文系理系という区分に意味はないが、やはり分野が変わると文化も変わる。また作中のユートロニカが別にディストピアとして描かれているわけではないというのがよかった。多分ディストピアというものは人によって違っていて、ある人にとってはこの上なくよい世界が誰かにとっては生きたくない世界ともなり得、頭から決めては書かないという手法がとてもよい。

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何度読み返しても、恐ろしく小説が上手い。最初からこれを書かれては、どうしようもないという感じがする。これを選考委員として読んだ側の気持ちを考えると、本当に恐ろしい作品。

解説までしっかり読んだはずなのだが、初読時の印象はまったく失われている。おそらく、小川哲という作家の印象を掴み切れておらず、解説を読んでもまったく説得されなかったのだろう。個人的に、過去におなじようなことは何回もあるので、作家への印象が定まってきたころに過去作品を解説を含め読み返す必要がある。

 

2020.11.27 N・K・ジェミシン『第五の季節』創元SF文庫

ヒューゴー賞長編部門を三連覇した三部作の一作目。語りの巧妙さは良いが、途中で(伏せ字)でなければ明らかに物語の拾集がつかなくなるので正直こうなんだろうなという予想はつく。またあまりにも前半がダルいのは印象が良くない。ある程度適当に読んで流すことで楽しみつつ読むことを継続出来た。結局科学なのか魔法なのか立場がはっきりしない書き振りは評価出来ず、作中の論理も全く見えないのは辛い。クソ理論だろうがバトル漫画的論理でもいいから、作中の論理の強さを示してほしかった。

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読書録での書き振りは悪いが、総体としては楽しめた一冊。特異な情景が多数出てきて、想像を掻き立てられて読んでいるうちは面白く読めた。ただ、やはり文量は長く、これだけ読んでまだこんなに残ってるの、という気持ちがあったことは拭えない事実。

忙しすぎて時間を確保出来ず、続巻は全く読めていない状況なので、ここから追いついていきたい次第。

 

2020.12.26 フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』岩波文庫

ルルフォがこの後小説を書かなくなったというのも、これを読めば納得出来る。この本を読んで思ったのは、小説の内での、生と死が自然に混淆するヴィジョンが真にメキシコになるのかというところ。そこでちょっと調べてみただけで、サンタ・ムエルナだとか、少し離れるがアマゾンのヤノマミなど、ラテンアメリカ大自然、あるいは力強さの中でしか通用しない論理がラテンアメリカには確かにある。その中ではそうと思えるが、冷めてみると不思議に思われる。話題になった怪論文もそうか。『燃える平原』も読みたい。

コメント

ルルフォは寡作な作家であり、長編『ペドロ・パラモ』の他には草稿集としての側面が強い作品集『燃える平原』しか存在しない。これだけだと寂しいが、『ペドロ・パラモ』を読んでしまえば、ルルフォが筆を置いた理由がよく理解される。

夢の中での論理であるとか、VRの中での体験であるとか、その渦中でしか働かない論理というものがあり、きわめて不思議に感じる。アマゾンでの体験もそうであるのか、少々気にはなるのだが、虫のいる自然が大嫌いなのでアマゾンの原生林にはいきたくない。(虫は嫌いではないが、生活環境に虫がいるのが嫌い)

 

2020年末をもって読書録は最後となる。これ以降はあまりに現在に近すぎ、危うい。また時間が経って公開出来る時が来たら再開しようと思う。