SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

読書録抜粋1

学部入学以降付けている読書録からの抜粋その1。すべてノートに万年筆で一発書きなので文章はところどころで破綻しているが、それも当時の味ということで。コメントは現在のもの。

 

2016.5.26 小松左京復活の日』ハルキ文庫

SF研の4月分課題図書として読んだ。改めて、悪役が米国のアカ嫌いの極右の将軍ってのは小松らしいというか、なんというか。若干尻すぼみなように思えるのは気になるところ。読書会の方には、きちんと読み直して参加出来ればなお良かった。

コメント

記憶では、SF研で最初に読んだのは『タイタンの妖女』だったような気がしていたが、記述からすると課題本だったのは『復活の日』だったようで、その次が『タイタンの妖女』。『タイタンの妖女』は勧められて読んだか、それともヴォネガット読んでないのはダメでしょってことで読まされたかのどちらかになる。

4月内に読みきれなかったのは、当時入学直後で異常に忙しかったことが原因。結構色んなサークルを出入りした記憶もある。小松作品は大概既に読んでいたので問題はなかったが、やはり読み直して細部まで詰めて話せればもっと良かったと思う。

記述によれば、この前後には堀口大學『月下の一群』、『上田敏全訳詩集』、『中原中也詩集』、それと新書を数冊読んでいる。川内南の文系購買と、今はなき西公園の尚古堂*1・片平の熊谷書店*2あたりで買ったものだと思う。前者の詩集3冊についてはハイカラな表紙に惹かれて買い、読まざるを得なくなったミーハー的行動とも言える。積読を許さず買って即消化しようという気概も見える。

また読んだのがハルキ文庫というのが時代の流れを感じる。今だとハヤカワ文庫JAから復刊されたものが容易に入手可能。

 

2016.6.29 J・M・アドラー、V・C・ドーレン『本を読む本』講談社学術文庫

偶然古書店で見つけて。最近本を読み切らず次の本を読み始めてしまうことが増え、それではダメだということで薄めで定評のあるこの本を読むことにした。直接状況を打開出来るようなものではないが、「分析読書」という方法は良いものであったと思う。目次を詳しく読んでから中身を読むという読み方をしたことはなかったので、これから心がけようと思う。

コメント

さすが学部一年生、読書へのモチベが段違い。最近では読みかけだろうが読んでなかろうが、全く罪悪感なく買い増し積み増しを繰り返している。

そして文章の内容はペラペラ。もはや何も書いていないに等しいが、こんなものでも書き続けていくことに意味がある。とにかくきちんと本を読み、書き続けていくべし。

この分析読書という手法、どちらかというと良い本を探す方法ではなく、読んではいけない本を弾くための方法のように思う。この本は長く読み返していないし、読み直してみようかと思う。

 

2016.7.8 太宰治富嶽百景/走れメロス 他八篇』岩波文庫

高校のときに現代文の教科書で読んだ「富嶽百景」を読みたくなって。最初の「魚服記」、これは初めて読んだときも今読んでも変わらずよくわからない。新潮文庫の『晩年』で読んだはず。『晩年』は手元にないので、また今度。お目当ての「富嶽百景」は教科書で読んだときとはかなり違った印象。教科書に載っていたものより明らかに長く、やけにあっさりとしていた印象とは違う暗さを感じた。太宰にしては嫌な暗さのないのを気に入っていたが、これだと嫌な暗さを感じる。太宰らしくないからっとした嫌さは、湿っぽい部分を切り取られていたことによるものか。あとはやはり「女生徒」と「駆け込み訴え」が面白く、これはいつ読んでも面白い。

コメント

ここに書いてある通り、教科書に載っていたものとここに収録されたものとで、「富嶽百景」の内容が変わっていた。これはどういうことなんだろうか。これを書きながら、この高校時代の「富嶽百景」の授業で、書評を書かされたことを思い出した。これを褒めてもらえたという成功体験が自分の深層心理にあるかもしれない。

太宰はずっと好きで、好きな純文学作家を挙げていくと漱石・鴎外・芥川・太宰・中島・梶井・川端・公房・三島となり、東大卒のインテリの文章がものすごく好きということになってくる。ここに星新一円城塔も入ってくるわけで、頭のいい人の文章を読むのが好きというのは揺るぎなさそう。

この前後には芥川の『羅生門・鼻・芋粥・偸盗』、川端の『伊豆の踊り子/温泉宿 他四篇』、鴎外の『舞姫/うたかたの記 他三篇』などを読んでいて、やはり学部一年生の若さを感じる。

 

2016.10.14 フィリップ・K・ディック『高い城の男』ハヤカワ文庫SF

以前『アンドロイド』と『流れよ』を読んで、買って読まずにいた本。なんと言っても表紙がいい。この3冊の中では一番面白かったと思う。『アンドロイド』のように難解でもなく、『流れよ』のように途中でキマってるわけでもなく、ある程度常識的で面白かった。ディック作品にますます興味が出てきた。揃えたときの本棚の見た目もさぞ格好いいものだろう。ちょっと高いのが難点だが。

コメント

海外SFが高いなんて感覚、麻痺していたので新鮮。当時のディック評はまあそんなもんだよな、と。当時はディック作品は言及のある2冊しか読んでいなかったはず。ディックにも慣れてきってしまって、読みにくいとも思わなくなって久しい。今この3冊で一番を決めるなら『アンドロイド』。好みは少しずつ変わっていく。

この前後にはオーウェル1984年』、ブラッドベリ華氏451度』が並んでおり、記述からもディストピアものをまとめてこの時期に読んだことが窺える。

 

2016.11.10 夏目漱石『こころ』岩波文庫

すっかり寒くなった。この時期にこの本を読みたくなるのは、文章全体にどこかうすら寒い気配がするからかもしれない。高校で新潮文庫版を買わされて、夏休みに読み切って以来。大学生になって読み直すとまず、当時の帝大生の姿が鮮やかに映る。俺の夏休みはこんな優雅じゃなかった。鎌倉の海岸に数週間も逗留するなんて、随分いいご身分。高校で、人生で何度も読み返すその度に印象が変わる、なんて言われたが、恐らくこういう文脈の話ではないとも思う。

先生もKも、共に元は資産家であったが、実家とは色々あって縁を切り、共に東京に死ぬことを決める。先生は他人に対して諦観があり、Kは自分に対して覚悟がある。先生が自殺したのは、Kに対して裏切りを行って、その行為がかつて自分の親族の行った悪行と同じに感じられて、他人のみならず自分にも諦観を生じた結果である。胸の内を明かさなかったのも、お嬢さんに人を疑うことを根付かせたくなかった、「白紙のままにしておきたかった」からだと思う。しかしKが自殺したのはなぜだろう。最後に進退極まったからだろうか。あくまで先生のことを遺書で言及しなかったので、真にK自身の内部における問題のためなのだろうか。明治の世が明治天皇崩御と共に終わりを迎え、その後乃木希典が殉死し、その新聞を読んで先生も殉死する。そのこころのうちをまだ理解しきれないと、実父の死を前に、先生の手紙を手に汽車に飛び乗る私、行き詰まって死んだK、また読み直せば何か得られるだろうか。

コメント

突然の長文。まあ「こころ」は本当に好きで、特にKが自殺した場面の情景描写をはじめ、情景描写が好き。ここらへんで小説の表現とかに改めて興味を持ったと自覚している。より直接的なきっかけは小松の「くだんのはは」の描写なのだが、それはまた別の機会に。

それにしても、当時の帝大生には地方の有力者の子弟が多いとはいえ、現代との格差が色濃く映る。鎌倉に逗留して水泳三昧とか、今でもありえないように思うが、もしかすると東大生とかにはこういう人もいるのかもしれない。

この年は10月以降ほとんど本を読めなくなっており、「こころ」以降年明けまで読書録は更新されていない。これは全て自科総*3のせいであり、これに全ての自由時間を吸われて何も出来なくなっていた。

*1:地下鉄東西線大町西公園駅から500mくらいのところにあった古書店。立地がよく、川内からの帰りに寄ることが出来、週3くらいで通い詰めていた。

*2:一番町の南、片平キャンパスの手前にあった地上1階・地下1階の古書店。かつてはこの辺りに古書店が並んでいた。

*3:自然科学総合実験。悪評はお近くの理系東北大生にお聞きください。