SF游歩道

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円城塔試論Ⅰ「円城塔の自己言及性とSF性」

私は円城塔のファンであり、ここしばらく円城塔とSFと物理と文学のことしか考えていない程度にはファンである。そうして部室などで円城塔の面白さを他人に語りまくることを通じて、円城塔の作品を読むことにおける重要な要素をようやく整理することが出来たので文章にまとめておく。

円城塔は、一般にはSF作家と認知されながらもSFらしくないと言われる作家である(よく分からなくて難しいのがSFらしさ、と言われるとなんとも反論できなくなるが)。しかしながら、円城塔をきちんと理解していこうと読んでいくと、次第にSFらしさというものがはっきりと見えてくるようになる。このように円城塔を読んでいく上で最も重要なことは、「Self-Referencial」(自己言及的)な要素を理解するということである。

まず前提知識として、「円城塔」は「Self-Reference ENGINE」であり、小説によって小説を記述し、言語によって言語の不完全性を笑うものであるということを理解してほしい。ここでまず、なぜ自己言及がそんなに重要なのか不思議に思う方がいるかもしれないので、その解説を行う。

自己言及、特に円城塔もそうであるように理系の分野における自己言及と言うと、20世紀初頭にイギリスの哲学者・論理学者・数学者である Bertrand Russell によって指摘された「 Russell のパラドックス」というものが有名である。

「 Russell のパラドックス」とは、素朴集合論において自身を集合の要素として含まないような集合をおくと、矛盾が発生するというものである。これを論理式で表すと、以下のようなものになる。

\begin{align} R = \{ x | x \notin x \}, \\ R \in R &\Leftrightarrow R \in \{ x | x \notin x \} \\ &\Leftrightarrow R \notin R \\ R \notin R &\Leftrightarrow R \notin \{ x | x \notin x \} \\ &\Leftrightarrow R \in R \end{align}

上記の論理式で示したとおり、最初の仮定R = \{ x | x \notin x \}の下でR \in RとおいてもR \notin Rとおいても確かに矛盾が生じる。(現在集合論として採用されている公理集合論では、R = \{ x | x \notin x \}を集合と定義しないことによってこの矛盾を回避している)

このほかにも、自己言及のパラドックスとしてはクレタ島出身の哲学者 Epimenides による「すべてのクレタ人は嘘つきである」という Epimenides のパラドックスがよく知られている。さらに言えば、「この文は偽である」という文章もまた、自己言及のパラドックスの最も単純な例である。このように、自己言及が行われている場合、不可解で興味深い矛盾が生じることが多い。

これを小説で行っているのが円城塔なのだ。

小説とはなにかと小説で問う。言葉とはなにかと言葉で問う。自己言及によって自明だと思っていたことに揺さぶりをかけ、新たな地平へと読者を連れていく(連れていくとは限らないが)。

その実例が円城塔の小説の難解さから導かれる小説の本質的な不完全性*1だ。この事実を指摘するには今私が行っているように評論の形をとって自己言及を避けるべきだが、最初に示す際は小説によって読者に読み取らせた方が都合がいい。(「小説は完全ではない」と率直に主張する小説は矛盾を起こす)自己言及によって生じた矛盾を解決するために、解釈を変更する。この解釈の変更がSFで言うところの「センス・オブ・ワンダー」であり、数学で言うところの「再定義」であり、物理で言うところの「理論の修正、もしくは式の解釈の修正」なのだ。これこそが、円城塔SFの本質のひとつであり、晦渋極まる語り口と人を突き放す発想と底なしの情報量とに遮られて見えづらくなっている円城塔のSFらしさのもとである。

このような「現行理論の矛盾点を解決し、かつ旧来の理論を包含する新たな理論を構築する」という行為は、数学や物理学で日夜行われている行為(例:古典力学から相対論への拡張)であり、真に科学的な行為だと言える。その手法を用いた、もしくは読者にその行為を行わせるような虚構は、まさにサイエンス・フィクションだと言えるだろう。

数学や物理学は円城塔が専門としていた分野である。それらを用いて自分の好きな文学を描き出し、自分とはなにものかを外部に示す。それはまさしく自己言及的な行為であり、またSF的な行為である。円城塔は疑いの余地なく「Self-Reference ENGINE」であり、また円城塔の作品は紛れもなくSFである。

*1:これについては以下の記事の「総解説」の節を参照していただきたい。 shiyuu-sf.hatenablog.com