SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

難解で知られる芥川賞受賞作家の、割と分かりやすい作品集━━「バナナ剝きには最適の日々」(円城塔、ハヤカワ文庫JA)

書籍情報

作者:円城塔

出版社:早川書房ハヤカワ文庫JA

形態:短篇小説集

収録作品

『パラダイス行』

『バナナ剝きには最適の日々』

『祖母の記憶』

『AUTOMATICA』

『equal』

『捧ぐ緑』

『Jail Over』

『墓石に、と彼女は言う』

『エデン逆行』

コルタサル・パス』

感想と(若干の)解説

「難解で知られる芥川賞作家の、比較的わかりやすい短篇集」とある通り、理解しやすい作品も収録されている短篇集。伊藤計劃は読んだけど、円城塔はまだ読んでいないという方はこの本から円城塔作品へと踏み出すのがおすすめ。これ以外では、「これはペンです」(新潮文庫)と『Self-Reference ENGINE』(ハヤカワ文庫JA)が初心者向け(?)だと思う。

私が東北大SF研に入った理由のうち、円城塔が東北大SF研出身だったということがかなりの割合を占めており、円城塔作品には非常に強い思い入れがある。こんなにも面白い作家が世間であまり読まれていないのは勿体ないことこの上ないので、その面白さを少しでも多くの人に知ってもらうことを目的に今回この記事を作成した。

この記事ではなるべく分かりやすい解説になるようこころがけたので、一度読んでみてよく分からなかったという人にも安心していただきたい。(まあそもそも「分からなかった」というのは円城塔にとっては誉め言葉のようなものなのだが)

以下、収録順に感想を述べる。

 

一作目から読者を返り討ちにしかねない『パラダイス行』。円城塔は小説の冒頭部でその作品の主題を提示することが多い。本作では「右があるって信じるならば、左もあると信じるべきだ。」ということが主題にあたるだろう。あまりにも自明すぎる主題から始まって、全く不思議でありつつも普遍的な結論へと論理を展開していく様は圧巻。

残念ながら、この難解さであっても円城塔の作品の中では比較的分かりやすい部類に入る。分かりやすいところとナンセンスギャグを楽しみつつ、難解な議論は「まあそんなものか」と読み流すのが疲れない読み方。文章のクセに慣れてきたらもう一度読み返して、最初に読んだときに気付かなかった内容を楽しむようにすれば、何度でも楽しめるはず。そうして読み返していくうちに、いつしか円城塔の魅力に取りつかれてしまうことだろう。

 

『バナナ剝きには最適の日々』は表題作にふさわしい傑作。円城塔の「ものの見方」というものがどのようなものなのかを知る上で最適の作品だと言えるだろう。

おそらく元ネタはサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」という作品集に収録されている『バナナフィッシュにはうってつけの日』だろう。この「ナイン・ストーリーズ」の要素がこの「バナナ剝きには最適の日々」の短篇集の中に散りばめられている。「ナイン・ストーリーズ」はその名の通り9篇から成る短篇集。一方この「バナナ剝きには最適の日々」も、単行本では9篇だった。(文庫版では『コルタサル・パス』がボーナストラックとして追加されている)私も細かく確認しきれているわけではないが、作品集全体に散りばめられたサリンジャー的要素を見つけ出すという楽しみ方も出来るかもしれない。

この短い作品の中に、円城塔グリム童話や歴史、スペースオペラからレム、バラードにまで及ぶ古典SFの話題や物理学の知識まで、衒学的なアイデアの断片を数多く提示して読者を煙に巻く。どこまでが真面目な議論で、どこからが妄想的な法螺話なのかという境界線が見事にぼやかされていることで、読者は自分の立脚する現実から地続きの狂気的幻想へと自然に足を踏み入れる。この体験を経て、読者は自分の今いる世界がちょっと変わって見えるような感覚を覚える。これこそがSFのもつ大きな魅力、”センス・オブ・ワンダー”だ。

一方で、この作品の語り手の状況に焦点を合わて冷静に考えると、かなり悲惨な状況であることが分かってくる。この語り手は、地球人の素朴な好奇心を満たすためだけに誰もいない外宇宙へと放り出されてしまったのだ。絶望的な状況の中、発狂寸前の意識を保つために、イマジナリーフレンドとの交流やナンセンスな妄想を展開することで何とか生きながらえている。作中では正気回路なるものが警告を出しているが、この正気回路が正しく動作しているという保証はどこにあるのだろうか。正気と狂気を巡るSF的議論は、どうしてこんなにも魅力的なのだろうか。

ところで、読み終わってみるとこの物語がなぜ私たちの読める形で存在するのかが不思議に思えてくる。語り手は、地球人はおろか宇宙人すらいるかどうか分からない遥か遠い場所に向かって旅していたはずだ。しかし、今あるように、この物語は私たちの読める形で存在する。一体誰がこの物語を救い上げて発表したのだろうか。やっぱりバナナ星人は存在していたのかもしれない。

 

『祖母の記憶』は円城塔による青春小説。青春小説といえば青春の爽やかさを前面に押し出したものが多いが、円城塔の押し出し方はどこかおかしい。

巻末解説にもある通り、悪趣味でグロテスクな出来事を題材にしているのだが、読後感はいたって爽やか。祖父との(一方的な)交流を通じて、「祖父の記憶」が「祖母の記憶」に変化する。

それにしても、物語に登場する道路のシミの「ジョン」の正体を知ったときは変な笑いが出た。そうだろうな、と予想はしていたけれども、まさかそこまでバッチリ当たっていたとは。結構散々な言われ方をしていた「ジョン」に関する描写は非常にコメディチック。円城塔のコメディ性(ギャグ性)とすっとぼけた雰囲気が楽しめる一作。

 

便宜上ここでは題名として『AUTOMATICA』と書いたが、題名も含めてこの作品の仕掛けになっている。この作品には3!通りの楽しみ方がある。もっとも自由であるはずの表現形態である小説という構造自体がもつ、無意識の枠組みに挑戦した純文学としても、またそこから広がる世界を想起させるSFとしても読める。

この作品をより楽しむためには、「円城塔」という「作者」本人の解説が必要になる。「円城塔」という名前は、もともと円城塔の東大院生時代の指導教官である金子邦彦教授の小説『小説 唯物史観』に登場する「円城塔李久」という物語生成AIに由来する。世間が「円城塔」だと思っている存在は「人間としての円城塔」であって、「小説家円城塔」と同一ではない。「物語生成AIとしての円城塔」が「小説家円城塔」である可能性もある。われわれが「小説家円城塔」が書いたものだと思っている作品が「物語生成AIとしての円城塔」の出力した文字列だったら評価はどう変わるのか。

結局私には全く分からない。面白いけど、まったく分からないのだ。多分分かったとしても、分かったときには円城塔はその先へと既にたどり着いてしまっているのではないか。いつまでたっても円城塔にはたどり着くことが出来ない、そんな気がしてしまう。

 

『equal』はもともとCDのブックレットだったらしい。そのため、ひとつひとつの断章が非常に短くなっており、いつもの難解な議論がそんなには展開されないため、ナンセンスギャグや出落ちネタを気軽に楽しめる。

円城塔の楽しみ方として、「気に入った一節を探すように読む」という読み方がある。あまり深く考えずに、SF法螺吹きおじさんの不思議な話を半分聞き流しながら、気に入ったフレーズを書き留める。もしかしたら世界の不思議を語っているかもしれないし、人間そのものの本質を深く描き出しているかもしれない。書き留めたフレーズにそういうことが隠れているかどうかをゆっくりと確かめながら、やっぱりそんなことはなかった、と思う。そういう付き合い方も出来る小説が円城塔の小説だ。

個人的に一番気に入っているのはⅧ。多角形が次々に登場する話を読み進め、オチは何かと思ったら、もうすでに丸が出そろっていた。「三角形」と「四角形」の間の戦いということで、『バナナ剝きには最適の日々』のあのアイデアがまた登場するのかな、と思って読み進めたら、見事にひっくり返された。自分の文章を読み手が読んだときに抱く感情を予測し、それを見事に操る筆力は本物。「ああ、やられた」という思いとともに、この先円城塔はどのような物語を見せてくれるのだろうかと、期待が大いに膨らむ。

 

『捧ぐ緑』は円城塔による恋愛SF。青春小説であるはずの『祖母の記憶』がおかしかったように、『捧ぐ緑』もどこかおかしい。

冒頭の「ゾウリムシは信仰を持つか調べています」というセリフからしておかしいが、研究者が自分の専門を他人に話すときは結構こういうことを口にしてしまうのではないか。個人的でしかも初歩的な経験ではあるが、私は高校時代にある種の物性実験で論文を書いた経験がある。そんな高校生レベルの超初歩的な実験であっても、他人に内容を伝える際には大変苦労した。「そんなことやって意味あるの?」とは言われなかったが、「それを調べて何の役に立つの?」とは聞かれた覚えがあり、結局答えられなかったように記憶している。確証はないが、県のコンクールで受賞したはずなので、悪い研究内容ではなかったはずだ。高校生の行ったものとはいえ、一応他人にも認められた研究でも実用性が乏しいものがあるのだから、より学術的な研究であれば実用性が見いだせない研究は多く存在するはずだ。そんな研究者にしか分からなさそうな感情を、円城塔は法螺話でt包み込んでSF小説に仕上げた。

他人に理解されない研究者の思いと、それを理解しようとしてくれる相手の存在、そしてそれに構わず輪廻を繰り返すゾウリムシ。シュールな組み合わせだが、文章全体にどこか寂しげな雰囲気が漂う。もしかしたら、円城塔も、こんな作品を書いておきながらも理解者を探しているのかもしれない。

そういえば、語り手とその恋愛相手の性別は作中から確定出来るのだろうか。「円城塔の一人称小説」という事実に引っ張られて、語り手は男で相手が女だと考えていたのだが、違うように思われてきた。「同性同士は生殖することができないのだから違う種だ」(128頁)、「わたしたちは、違う種だ。色んな意味で。ひょっとするとあらゆる意味で。」(131頁)という記述から、このふたりはもしかすると同性なのかもしれないと考えられるのではないか。するとこの作品は恋愛SFではなく、百合SFか薔薇SFになるだろう。

この作品もサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」に元ネタを見出すことも出来るらしいが、私の思いつく限りでは科研費にまつわるネタとして有名な「象の卵」が元ネタのひとつになっていると思う。次に示したURLは、その「象の卵」のPDFだ。

http://osksn2.hep.sci.osaka-u.ac.jp/~taku/kakenhiLaTeX/2013/kiban_ab.pdf

ここにある文章は科研費申請書をLaTeXで書くことが出来るマクロ「科研費マクロ」にデフォルトで記載されている例文で、その脱力さ加減はご覧の通り。最近ついに誤って「象の卵」をそのまま丸ごと提出してしまった人が現れたようで、一時期研究者界隈では話題になっていたようだ。ぞうの卵はおいしいぞう。

 

この作品集の中で一番読みやすいのは『Jail Over』かもしれない。この作品はホラー色が強く、いつもの読みづらい議論や面倒なまぜっかえしがひとまず棚上げされている感がある。

円城塔はホラーも数篇書いており、竹書房文庫のホラーアンソロジー3冊に収録されている。普段の難解さはどこへやら、率直に書かれているのでSFより非常に分かりやすい。『Jail Over』が気に入ったならば、そちらに収録されている作品を読むのがおすすめ。(あと東北大SF研に「円城がエンタメ書いてる!?」と謎の衝撃を与えた伊藤計劃との合作『屍者の帝国』も読みやすい。)

また、この作品のはじめの方に「人型でくねくねとのたうち回る肉塊」が登場するが、ネット怪談にも『くねくね』という、人型でくねくねとのたうち回る謎の存在に関するものがある。『くねくね』という作品自体も、「くねくね」という存在自体も、この『Jail Over』よりも先に成立しているはずなので、円城塔がそれらを踏まえて書いた可能性は否定出来ない。

 

『墓石に、と彼女は言う』は円城塔による、「自分」を探すための量子力学SF。

作中にある「(私は)円ではなくて、包絡線」というのは、プログラム界隈では有名な「ダック・テスト*1」のことだろう。「自分」そのものを探るのではなく、「自分」の輪郭や「自分」への入力に対する出力を積み上げていくことでしか、自分を探れない。プログラマだった経歴をもつ円城塔ならば、必ず「ダック・テスト」のことは知っているはずだ。

量子力学が象徴的に登場するが、それは量子力学における「観察者問題」の象徴としてではないか。量子力学的観察では、古典的な観察とは異なり、観察すること自体が物理的現象に影響を与えてしまう。乱暴な解釈かもしれないが、円城塔はこの量子力学における観察と、「自分」を知るために自ら行う観察に共通するなにかを感じたのだろう。

また、円城塔はメールインタビュウで自身のもつ言語へのこだわりについて、以下のように語っている。(【】内引用者、「ヱクリヲ8」、2018)

【なんでもそれを利用して書けるという、言語の万能性は不思議で、不気味だ。その問題の】一つの解決策としては、言語を二つ用意して、相互に解説させあうという手があります。自分の場合、その一つに自然言語を、もう一方に自然科学の言語を採用しているという感覚はあります。

ここからも、円城塔の創作の特徴が分かる。円城塔は、文学的な疑問や問題に対して、理学的な考え方や表記を用いて回答を与えようとする。この文理融合的な文章こそが、円城塔の最大の特徴のひとつだ。その意味で、この作品は文理融合的な小説を目指す円城塔の特色が非常によく出ている傑作と言えるのではないだろうか。(私は円城塔が何をしようとしているのかは分かったが、何が出来たのかが分からなかったので分かり次第追記する予定。)

ちなみに、元ネタはフランスの作家・映画監督であるマルグリット・デュラスの小説『破壊しに、と彼女は言う』だと思われる。

 

『エデン逆行』はこの作品集の中でも特に難解な一作。この作品を(なるべく)理解するためには、特殊相対論の理解が必要になるだろう*2

相対論の理解が必要だというのも、この『エデン逆行』の舞台である「時間の街」の存在する時空がミンコフスキー時空らしい特徴をもっているからだ。ミンコフスキー時空とは、x軸方向、y軸方向、z軸方向からなる通常の三次元空間に対して、これら3軸とそれぞれ直交するct軸方向(光速度×時間)という新たな次元を導入した四次元時空のこと。詳しい説明は相対論を扱った書籍に譲るが、ミンコフスキー時空では「時間と空間が等価」なのだ。これとほぼ同じ意味の作中の表現として、時間の街の中心にある時計塔の周囲を巡る螺旋状の通路では「時間と距離が等価」になるというものがある。また「通路を進むと通路自体が縮むだけでなく歩いている人も同様に縮む(ローレンツ収縮)」という記述があったり、「中心に向けて歩いているのに出発点を見る(相対論的速度の観測者による観測の歪み)」という相対論特有の事象に関する記述があったりと、「時間の街」の時空がミンコフスキー時空である証拠は数多く示されている。

また、「時間の街」はミンコフスキー時空に存在するという説によって、難解極まる「祖母に関する議論」が多少なりとも分かりやすくなる。相対論によれば、速度が光速に一致すると「原因の後に結果が生じる」という因果律が破綻するということが示されている。物理現象が時空を伝わる速度はすべて光速に縛られているので、光速で移動する観測者からすると、「原因と結果が同時に生じた」ように観察される。これが因果律の破綻だ。これに似たことが時間と空間が等価な「時間の街」でも生じているのではないだろうか。正直この「祖母に関する議論」は読者に理解させる気がないのではないかというくらい難解な議論なので、ある程度理解したらそれ以上は「まあそんなもんか」程度で読み流すのが手。とりあえず、この作品が特殊相対論に基づくものだということを知っていただければそれでいい。

作品冒頭で提示され、後半に差し掛かるころに再度登場する「シェルピンスキー=マズルキーウィチ辞典」に関する考察は、円城塔の最も好む部類の考察だ。同様の考察はデビュー作のひとつ『Self-Reference ENGINE』で繰り返されるほか、『これはペンです』でも提示されている。言葉を用いて創作する「小説家」円城塔にとって、創作というものの根幹に迫るこの議論は大きな疑問のひとつなのだろう。

この「シェルピンスキー=マズルキーウィチ辞典」のアイデアの由来は、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『バベルの図書館』でほぼ間違いないだろう。円城自身がボルヘスを含む中南米文学を東北大在学中に読んでいたらしいので、ほとんど確定出来る。

理学的な舞台で文学的考察を展開させた物語は、最後に華麗に表題を回収し終幕に至る。結局「祖母に関する議論」周辺の部分は理解出来ずじまいだが、読み終えると圧倒的な思弁性を楽しんだという実感が残る。分からないのになぜこんなにも面白いのだろうか。分かりそうで分からないという、円城塔の絶妙な語り口が楽しめる傑作。

 

コルタサル・パス』は単行本から文庫本になった際に追加された作品。どうやら円城塔の最高傑作だと評判のSF長篇『エピローグ』につながる作品らしいのだが、肝心の『エピローグ』を私はまだ読んでいないので何も言えない。読み終わり次第、追記しようと思っている。

とはいえ、この作品は単体としても非常に面白い。コムの登場によって、人間と「人間でない知性」の区別がつかなくなった未来。法螺話と科学知識を織り交ぜて現実と虚構の境目をなくしてきた円城塔の描き出したぼんやりとした未来だ。士郎正宗攻殻機動隊』のように、サイバーパンクに新たな道筋を示してくれる作品にも思える。

作中には、「空也上人立像」などの現実に存在する芸術品、コムという今は存在しないけどいつか実現しそうな科学技術、「カリフォルニアの藩王*3の俳優時代~」など若干間違った歴史的知識からなる抜けたギャグ、「チオチモリン*4」などの架空の科学用語、そして「叙述設定」「コルタサル・パス」「人間メッセージ説」という難解ながらも魅力的な設定が登場する。『エピローグ』の前日譚的作品でありながら、この作品だけで円城塔の魅力を十二分に楽しめる豪華なボーナストラック。

 

ここまで各収録作品について感想と若干の解説を加えてきたが、円城塔の作品を読む上で一番重要なのは、作品を完全に理解しようとしてはいけないということだ。円城塔は基本的には法螺吹きだ。しかもたちの悪いことに、ものの見方が狂っているだけで、そこから展開される物語自体は非常に論理的で、高度に科学的な大法螺吹きだ。

円城塔のものの見方は異常だ。普通の人には、「自分が今立っている場所は知り尽くしていて、遠く離れた場所は不思議だ」と感じられる。しかし円城塔には「自分が今立っている場所こそ不思議だ。ここさえ踏み固められたら、遠く離れた場所は今立っている場所からの延長上にあるに過ぎない」と感じられるのだ。この倒錯こそが円城塔の作品のもつセンス・オブ・ワンダーなのだと思う。この「異常なものの見方」がよく表れているのが『パラダイス行』と『バナナ剝きには最適の日々』の2作だ。円城塔の作品ひとつ丸々全部が読みづらいということはあまりないと思う。恐らくそれは円城塔が自覚して文章の難易度を上げているはずなので、とりあえずそういう部分は読み飛ばしても大丈夫なはずだ。一旦読み通して見通しを良くしてから読み直すと、以前より読みやすく感じるだろうし、また新しい発見があるだろう。

 また、円城塔は「私は情景描写を文字そのままとして受け取る。山の描写を読んでも、山の姿を思い浮かべることはない。」という旨のことを話している。このことを頭の片隅において読むと、その異常なものの見方の理解が深まるのではないか。

難解だ難解だと言われているが、円城塔作品が面白いのは確かだ。難解なだけで面白くなかったら、誰にも読まれず埋もれていくだけだ。円城塔作品の難しさは、その面白さを明確に言語化するのが非常に難しいというところにも表れる。この記事ではなんとか言語化しようと努力してきたが、いかがだっただろうか。この記事が、円城塔の作品を楽しむきっかけになれば幸いだ。

 

付記:円城塔を知るための参考図書

[1]力学(戸田盛和岩波書店、物理入門コースⅠ)
力学分野の一般的な入門書。高校の教科書の延長のような形式で書かれているので、高校レベルの物理の知識があるならばこれから入るのが一番負担が少ないと思う。相対論を学ぶためには、一定水準の古典力学の知識が必要なので、大変ではあるがまずはこの本で古典力学を学ぶのがおすすめ。

力学 (物理入門コース1)

力学 (物理入門コースⅠ)

 

[2]力学 三訂版(原島鮮、裳華房
個人的なおすすめ。上記の『力学』だけでは物足りないので、この本で補強するのもあり。

 

力学

力学

 

[3]相対性理論入門講義(風間洋一、培風館、現代物理学入門講義シリーズ1)
特殊相対論の入門書で、東北大学理学部物理学系でも相対論の入門書として推薦されている。ミンコフスキー時空に関して、図を豊富に用いて丁寧に説明されているので、『エデン逆行』を知るには最適な一冊。

相対性理論入門講義 (現代物理学入門講義シリーズ)

相対性理論入門講義 (現代物理学入門講義シリーズ)

 

*1:「ある鳥が鴨のように見え、鴨のように泳ぎ、鴨のように泣くならば、それは多分鴨だ」という形の類推。いかにも円城塔が好きそうな類の話だな、と思う。

*2:ちなみに円城塔の母校であり、現在私も在籍している東北大学理学部物理学科では、第3セメスター(学部2年生の後半)に開講される「相対論Ⅰ」という講義で初めて特殊相対論を扱う。入学から1年半かけて入念に準備してきてやっと扱う内容を、円城塔は当然のごとく作品に持ち出してくるので厄介極まりない。

*3:これはアーノルド・シュワルツェネッガーで間違いない。

*4:アイザック・アジモフが作った架空の物質。水に対して非常に溶けやすい性質を持ち、水に入れようとすると、水に入れる前にすべて水に溶けてしまう。