SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

未訳SF紹介Ⅳ「永不消失的電波」(拉拉)

書籍情報

作者:拉拉(Lala, らら)

形態:短篇〜中篇小説(日本語で2万字ほど?)

 

あらすじ

遠い未来、ある時を境に科学技術をほとんど失った人類は、Lathmuという惑星で、原始時代さながらの厳しい生活を強いられていた。しかし、人類は宇宙からやってくる電波を解析することで、過去の技術を取り戻し、文明を再興させることが出来た。

主人公のNikuulaは、宇宙の遥か彼方からやってくるその電波の解析を行っていた。その電波を辿っていくうちに、Nikuulaは電波の発信者の過酷な運命を追体験することになる。

 

作者紹介

1977年生。インターネット関連企業に技師として勤務しており、作品にはその専門知識を反映した電波に関する作品が多い。中国人好みの“硬科幻”を象徴する作家のひとり。

代表作に「永不消失的電波」。邦訳作品はない(2020年2月現在)。

 

作品紹介

本作は、2007年に中国科幻銀河賞*1第一席を獲得。これによって、本作は拉拉の代表作と誰もが認めるところとなった。ちなみに、この前年(2006年)には、劉慈欣『三体』が銀河賞の特別賞を受賞している。

本作の題名についてだが、まんま同じ題名で1958年制作の中国映画があるらしく、それが元ネタだと推察される。

 

作品の内容は単純に面白い。読んだ感覚としては大変古いタイプのSFの風味を感じ取った。50年代のアメリカSFのような雰囲気のある懐かしいタイプの作品で、誰が読んでもSFだと思うようなSFらしいSFというのも、人気の一因であろう*2

作者がエンジニアで、その専門知識を生かしてSFを書く、というのはアメリカのハードSFの特徴によく当てはまる。また、技術屋らしい硬科幻で、歴史に絡めた展開、未来への希望に満ち溢れた展望、そして人類を見晴らすような高い視点を保とうとしている姿勢など、中国のSFファンの好む要素が詰め込まれた作品であることも容易に読み取れる。この作品を日本に紹介することで、中国のSFファンがどのような作品を好むのかということを、実例をもって理解することが出来るようになるだろう。

 

余談

今回は、中国語の原文をそのまま読みつつ、わからないところは英語訳と比較しながら読みすすめていった。やっと、はじめて自分ひとりの力で中国語で書かれたSFを読み切ることが出来た。(これまでの未訳の中国SFは、英語訳*3か、翻訳のための下訳*4を介して読んでいた)

なお、私が読んだのは、『中国科幻銀河賞 作品精選集』の伍巻に収録されているもので、適宜参照しながら読んだ英訳版はコロンビア大学出版局から刊行された "The Reincarnated Giant: An Anthology of Twenty-First-Century Chinese Science Fiction" に収録されたもの(Petula Parris-Huang訳)。通しで12、3時間で読み切ったことになるのだが、果たして早いのか遅いのか。 

 

*1:中国科幻銀河賞とは、中国最大のSF雑誌『科幻世界』が主催する中国のSF文学賞のひとつで、プロアマ問わず、コンペ形式で順位を争うのが特徴。公募式のSF新人賞が長らく存在しなかった中国においては、この銀河賞で席次を獲得するのが登竜門となっていた。作品を発表する媒体が少なかった中国においては、広く読者に作品を読んでもらえる貴重な機会として捉えられている。先述の通り、プロアマ問わず腕を競い合うので、業界全体の活性化にも繋がっている。近年では中国政府の金も注入され、国を挙げた一大イベントへと成長している。

*2:本作は『三体』以後の、中国におけるSFブームの中で生まれた作品にあたる。ブームの中にあっては、SFらしいSFが求められ、高い評価を受けるであろうことは想像に難くない。

*3:例:劉慈欣『三体』「円」など

*4:韓松「暗室」、潘海天「偃師伝説」

2020年代を見据えて

2019年は非常にやり残しの多かった1年だった。学部最後の年なので当然と言えば当然なのだが。

ここでやってきたことを振り返って、2020年代にやりたいことも整理しようと思う。(珍しくブログらしい記事だ)

 

今年やりきったこと

特になし

無念なり。

 

今年はじめたこと

SFウェブジン『科幻万華鏡』の立ち上げ

来年以降は東北大SF研ではなくこっちをメインにしていきたい。(学部から大学院に移るので)

いわゆるVtuber活動

理玲ちゃんは自分の理想とするSFファン。これからもきっちり応援していきたい。

SFイベントの企画の主催・登壇

京フェスで『東北大SF研、大いに中国SFを語る』という企画を主催し、自ら話すことに。知見を共有出来て楽しかったので、今後も機会を見つけてSFイベントで企画を持ちたい。

 

やり切れなかったこと

東北大SF研インタビュー企画(教授と某氏)

私の恐るべき怠慢によって今年も出来なかった。さっさとやりたい。

中国SF翻訳(韓松「暗室」)

 流石に卒業を目前に控えて時間がなかった。早めに訳稿を完成させたい。

 

来年以降やらなければならないこと

学部卒業

卒業したい。(切実)

追記(2020/3/3)
卒業に必要な単位を確保したので卒業は確定。

研究(物理学)

大学院に入って本格的に研究がはじまるので、言わずもがな。専門は素粒子物理学加速器科学、高エネルギー物理学。特にILCのシミュレーションになる予定。

研究(SF)

星新一筒井康隆円城塔と、中国SFの研究が中途で止まっているので、そっちも趣味で進めていきたい。

休日にすこしずつでもいいから、くれぐれも心を壊さぬようにとのことだったので、それにしたがって着実にすすめていきたい。

shiyuu-sf.hatenablog.com

shiyuu-sf.hatenablog.com

 

中国のSF雑誌『科幻世界』への伊藤計劃円城塔に関するガイドの寄稿

中国では伊藤計劃の人気がなく、円城塔も「ダクソじみた死にゲー」扱いされているらしい。そこで「円城塔の直接の後輩で、円城塔伊藤計劃を絡めて二人一緒に解説文書けるんだけどいかが?」と中国最大のSF雑誌『科幻世界』に売り込んでみたところ、とりあえずその文章を日本語で書いて送ってほしいとの回答を得た。書く気はあるのだが、報酬が確定していないためずっと後回しになっている。(もしこれで商業デビューしたら、中国でデビューした謎のSFライターということになる)

伴名練の作品の中国向けの紹介文の執筆

縁あって、北京在住の、SF専門の日中翻訳者の中国人大学生と知り合った。その人から最近の日本SFの必読級作家を聞かれ、「伊藤計劃円城塔、小川哲、伴名練」の4人を挙げた。この中でも、先方が特に興味を持ったのが伴名練だったのだが、中国からだと伴名練本人についてはおろか、伴名練の作品のどこが素晴らしいのかもわからない状態らしい。そこで作品紹介・解説文を書いて欲しいとの話になったのだが、忙しくて後回しになっている。

お仕事?

なにをするにも、私本人のメディア力(政治力?)が必要だと思った一年だった。日本でも中国でも、商業でのお仕事をはじめていきたいです。

追記(2020/3/3)
SFM2020年4月号にて、陳楸帆『荒潮』の書評をもって書評家としてデビューしました。ぜひご一読を。

SFマガジン2020年04月号

SFマガジン2020年04月号

  • 発売日: 2020/02/25
  • メディア: 雑誌
 

未訳SF紹介Ⅲ「暗室」(韓松)

書籍情報

作者:韓松

形態:中篇~中長篇小説(日本語で4万字ほど)

 

あらすじ

語り手である「ぼく」は、かつて発生したある出来事の調査を行うために、ピンカス谷を訪れた。そこには、赤子どころか、胎児の骨と思われるおびただしい数の人骨が山積していた。「ぼく」は痛ましい出来事に胸を痛めつつ、当時を知るアルファ氏という老人の元に向かった。

アルファ氏は、「ぼく」にアルファ氏自身が胎児であった頃の記憶を語る。胎児たちは、相互通信可能な電磁的なネットワークをもっており、大人たちの社会からは独立した、高度な社会を構築していたのだ。そしてついに大人たちの社会が胎児たちの社会が存在することを認識し、人類は史上はじめて他の文明世界との接触を果たすのだった......。

 

作者紹介

1965年生。新華通訊社新華社通信)の記者・編集者として勤務するかたわら、創作を続けている。その取材経験を活かした風刺や政治批判を得意とする。

代表作に「紅色海洋」、「地鉄」、「美人狩猎指南」など。邦訳作品に「セキュリティ・チェック」、「再生レンガ」、「水棲人」。

全体的に独特の読みづらさをもつ中国SF界の中でもひときわ読みづらく、その読みづらさに起因する高い中毒性をもつ作家。読みづらさの原因としては、中国国内の政治的な問題が作品のテーマとなっていることや、晦渋極まる文体、難解な表現などが挙げられる。また、中国のSFは、難解で重苦しい主題を扱いたがる傾向*1にあり、韓松の作品はその最たる例と言える。

中国のポストモダン文学といえば、まず莫言、二三歩下がって韓松といった感じで、中国のポストモダン文学を代表する存在として純文学界隈からも知られている。

 

作品紹介

この作品で展開される社会や文明の描写は、総じて陰惨で混沌としたものであり、読んでいて血沸き肉躍るというような類の作品では決してない。しかし、この作品で描かれた社会を読んだとき、急速な発展を遂げた中国社会を想起せずにはいられないのも確かなことだ。

基本的に、中国色が濃すぎるあまり外国人には理解出来ないことが多い韓松の作品にあって、本作は社会に対する強烈な批判精神が、かえって外国人である私にさえも作中の悲惨な描写に嫌悪感を覚えさせるほどに作用している。

本作は、一般にSFとしてだけの価値で測ればそこまで重要な作品ではない。しかし、韓松の豊富な批評精神、社会に対する強烈な問題意識、それを実現するための陰惨な文章表現、そしてそれらをSFに織り込んで語る手法などにおいて、韓松の創作の姿勢を体現した非常に重要な作品のひとつである。現状、韓松の邦訳作品が3作と少なく、またどれも比較的理解しやすい作品であり、本質的な“理解しにくさ”からは離れた作品であるため、本作は韓松の本質的な特徴を日本に紹介するにあたっては非常に重要な位置を占めると考える。

 

翻訳とその入手方法について

天津一と下村思游の共訳による「暗室」の訳文は、東北大学SF・推理小説研究会の機関誌『九龍』第3号(刊行時期未定)に掲載される予定。本業を優先するため翻訳は座礁中。

 

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*1:これには、中国においてSFが長年にわたって子供の読み物扱いされてきたことに原因があると考えている。これを払拭したのが劉慈欣の「三体」であり、韓松の作品群であった。

伴名練「延命小説」の解説その他の文章

この文章は『文學界』2020年12月号掲載の伴名練のエッセイ「延命小説」の解説と、私の個人的な感想の入り混じった文章になる。

まず解説から行っていく。

結論として、私はこの作品を伴名練の最高傑作であると考えている。なぜなら、この作品が完璧なSFであり、私が『なめらかな世界と、その敵』までの作品をすべて読んだ上で弱点だと考えていたふたつの事柄に対して、明らかにみずからの弱点を理解した上でその回答を示してくれたからである。

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テッド・チャン「大いなる沈黙」に関する同人訳者覚書

昨年の10月、東北大SF研の部会において、私はテッド・チャンの「The Great Silence」という短篇を翻訳して紹介した。以下の文章は、その際の訳者解説である。

 「絶滅寸前のオウム」と「アレシボ天文台」という、地理的に隣接しつつも全く共通点の見えない題材から、チャンは魔法のように鮮やかな筆致で、思いもよらない共通点を描き出してしまう。大変短い作品だが、チャンの醍醐味を味わうことの出来る傑作であると言える。
 自らの滅亡を悟ったものが、科学的根拠と結びつけてそれを示唆する、という展開は某名作に共通するが、悟りと示唆のプロセスに焦点をあてた当該作とは異なり、本作ではその伝達のプロセスに焦点があてられる。
 「ヨウムのアレックス」「オウムのコンタクトコール」「アレシボメッセージ」という科学的根拠から、チャンは「いい子でね。愛してる。」という言葉を導き出す。表では人間への諦観と慈愛を、裏では「静かにしないと、こうなるからね」という諫言を表した言葉だ。(訳者としては本来はばかるべき言動ではあるのだが、この一言こそ、SF史上最高のメッセージだと思う。)
 作中で語り手のオウムは人間の想像力を讃えていたが、真に讃えられるべきは、我々のような凡百のそれではなく、チャン自身のそれであるべきだ。

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伴名練「ゼロ年代の臨界点」に関する補足解説

東北大SF・推理研バーチャル会員である卜部理玲が、伴名練のSF作品集『なめらかな世界と、その敵』に関する1万字におよぶ文章をnoteで公開している。

これらの文章はおおむね満足いくものではあるのだが、1作だけ、「ゼロ年代の臨界点」に関しては読みが甘いと感じたので、補足しておこうと思う。

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反『君の名は。』としての『天気の子』試論

新海誠監督の新作『天気の子』を公開初日に鑑賞し、面白くなかったと感じたし非常に疑問点が多かったのでこの文章を書くことで整理したい。

 

前作『君の名は。』は、物語の構造とその論理性、そして“なぜその物語を物語らなければならないのか”という問題に対してその物語の中で回答を示した自己言及性において、自分の理想とする完璧な作品であった。

前作の成功が完全に論理的に導かれた必然的なものであり、かつこの物語の完成度を超えることは論理的に不可能であると理解していたので、今回の『天気の子』でどのような物語を展開するのか非常に気になっていた。

 

結論、本作は『君の名は。』の逆の物語構造を忠実に行った作品である。両作でなにが対立しているのかということを、整理しながらひとつひとつ見ていきたい。

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2019年上半期の読書整理記

平成が終わり、令和が始まった2019年。新しい時代の訪れとともに読んだ本を整理し、大学生活最後の半年に繋げていこうと思う。

 

上半期のベスト10

1.ディアスポラ」(グレッグ・イーガン山岸真、ハヤカワ文庫SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)

 

実は読んでいなかったSFの最高傑作のひとつ。これをやられてしまったらなにもいうことはない。

ただ、物理を専攻するものとして、イーガンにすこし反論したい部分もあるのだが、それはまた別の機会に。“SF初心者殺し”として有名な本作だが、面倒なのは冒頭の部分だけ。むしろ全体を通してみれば「万物理論」の方が格段に厄介。 続きを読む

VRのSF性に関するメモ

VR技術をSFファンとして体験し、そのSF性について重要な発見をいくつかしているので、その感動を忘れないうちに記録しておくことにした。

あくまでメモ程度であるので整理はされていない。とにかくこの発見を記録しておくことが最優先事項であると判断した。

 

私が経験したVR体験は以下の通り。

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いちSFファンによるVRchat体験記

先日後輩宅でVRChatを体験してきた。ものすごく面白かった。

言葉を失っている。

かつてSFが描いた世界が、目の前にあった。VRChatを体験していたその間、私は、まぎれもなくSFだった。

あまりの衝撃に、ずっと整理できないでいる。この体験記を読む方は、この記事が整理されていないものであることに注意してほしい。

 

とりあえず、私の体験を写真とともに記録していこうと思う。(VRChat内にカメラ機能があるのだが、不慣れで下手糞なためモニタを直接写真に撮るという荒業で撮影した。そのためが質が非常に悪い点に関してはご容赦ください)

 

私がVRChatを体験したのは平日の15時ごろ。当然日本人はワールドにおらず、参加者はほとんど夜更かししているであろうアメリカのオタクだった。

一応VR体験はあったのでVR自体にはさほど驚かなかったが、それにしても、ゲームのような空間の中に私が立っているというのは面白いものだった。しかし、ここはVRChat、これまでのように空間内に自分しかいないというものではなかった。

周囲には、英語でコミュニケーションを交わすアメリカ人オタクが10人以上はいた。聞こえてくる声は全て男声だが、見える姿はほとんどがかわいい女の子のアバターである。

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写真1:"kawaii"文化交流

上の写真の彼女(彼?)とは、kawaiiムーヴで謎のコミュニケーションを行うことが出来た。手を振ると、きちんと手を振り返してくれた(かわいい)。しかも表情の変化も手動で行っていたので、なかなかの手練れであろうと推測される。

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写真2:インターナショナルバーチャル百合ムーヴ

私はプライバシー保護のためマイクを切っていたので結果として非言語コミュニケーションを行うことになったが、海を隔てているとはいえ、こんなところにいるものはみな同類である。写真1の彼女と出会ってすぐ、バーチャル頭なでなでを体験することになった。(写真2)

写真では非常に分かりづらいが、写真2の状況で、私本人の鼻先に彼の顔があった。VRChatはルームスケールVRなので、まさに実際に自分が他人のかわいいアバターと交流しているのと変わらない現実を体験することが出来る。

このような距離のことを「ガチ恋距離」といい、これこそがVRChatの醍醐味のひとつである。かわいいアバターと、実際に触れあえるのである。

おそらく当時その場所にいた日本人は私だけだったが、会う人はみな"kawaii"ムーヴ体得者であった。間違いなく、ネットの海を隔てて目の前にいるのはアメリカのオタク(しかも多分おっさん)である。しかし、目の前に見えるのは、写真1にあるように、笑顔で手を振り返してくれるかわいい女の子である(かわいい)。

これが現実に存在するのだ。SFの中でしかありえなかったような状況が、SFの想像力をはるかに凌駕した形で、いま私の目の前にあるのだった。この経験は、言葉では言えない。あなたが、あなた自身でもって体験しないと分からないであろう。(じゃあなんでお前はこんな文章を書いているんだ、ということになってしまうが)

 

名前も外見も知らない外人と"kawaii"を共有し、"kawaii"をともに作り上げる。「ちびのトースター」(おっさん)がバーチャル空間を平行移動で疾走し(写真撮影失敗)、バーチャル美少女(おっさん)とオタクトークし、美少女であるところの私(日本の大学生)に「きみかわいいね!」「しゃべれないの? お話ししようよ!」と英語で話しかけてくる。(外人にかわいいと言われたのは人生初でした)

美少女(写真1、2の彼女。おっさん)が虚空から刀を取り出し、「Show my SWORD!! Ninja Sword!!!! BOOOOM! BOOOOM!」と刀を見せびらかして振り回し、それを周りの美少女(おっさん)が羨ましそうに見ながらオタクトークをする。

小さい幼女(おっさん)が走ってきて、お花を渡してくれる。(写真3)

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写真3:花をくれた女の子(おっさん)

目の前に走ってきて、頭をなでてくれとせがむ幼女(おっさん)をなでる私。(写真4)

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写真4:頭をなでて国際交流

これらが、現実として、私の目の前にあった。たった15分ほどの出来事だった。これまで楽しんできたSFが、フィクションに過ぎないのだと体感した15分だった。

マトリックス」、「ブレードランナー」、「接続された女」、「ニューロマンサー」、「攻殻機動隊」、「レディ・プレイヤー1」、これらは素晴らしいフィクションだった。しかし、フィクションに過ぎなかった。それを私は体験したのだった。

 

 

 

Vtuber」、「バ美肉」、「VRChat」とSFらしい話題には最近事欠かないが、本当に、それらを実際に体験してそのSF性を論じた人間がいただろうか。SFに関わる人間できちんとこれらに言及している人間を、私はまだ見ていない。

それはそのはず、語るべき言葉を失うはずだからだ。私たちの体験していたSFは、虚構に過ぎなかったのだと、VRChatは目の前に、否定できない現実として突き付けてくるからだ。

 

フィクションの敗北を語る私に対して、「お前の文章表現が悪いのだろう」という反論を行うことは出来る。

しかし、私が感じているのは、構造としてのフィクションの敗北である。

私のVR体験は、現実である。それに対し、私のVR体験記は、フィクションである。そして従来のSFもまた、フィクションである。

現実は誰かの目を通した瞬間にフィクションになる。SFがフィクションである限り、現実としてのVR体験には勝てない。それを現実で私は実感してしまった。

 

おそらく、SFに深く携わる者ほど、この衝撃は大きいのだろうと思う。私の言いたいことは、とにかくVRChatを体験してほしいということである。言葉では語りつくせない。言葉で語れる感覚というものを、原理的に超越している。

とにかく誰かに体験してほしい。参入障壁は高いが、それだけに、いまは純粋な拡張された現実という現実を楽しむことが出来る。たのむから、はやく、VRChatに触れてほしい。