昨年の10月、東北大SF研の部会において、私はテッド・チャンの「The Great Silence」という短篇を翻訳して紹介した。以下の文章は、その際の訳者解説である。
「絶滅寸前のオウム」と「アレシボ天文台」という、地理的に隣接しつつも全く共通点の見えない題材から、チャンは魔法のように鮮やかな筆致で、思いもよらない共通点を描き出してしまう。大変短い作品だが、チャンの醍醐味を味わうことの出来る傑作であると言える。
自らの滅亡を悟ったものが、科学的根拠と結びつけてそれを示唆する、という展開は某名作に共通するが、悟りと示唆のプロセスに焦点をあてた当該作とは異なり、本作ではその伝達のプロセスに焦点があてられる。
「ヨウムのアレックス」「オウムのコンタクトコール」「アレシボメッセージ」という科学的根拠から、チャンは「いい子でね。愛してる。」という言葉を導き出す。表では人間への諦観と慈愛を、裏では「静かにしないと、こうなるからね」という諫言を表した言葉だ。(訳者としては本来はばかるべき言動ではあるのだが、この一言こそ、SF史上最高のメッセージだと思う。)
作中で語り手のオウムは人間の想像力を讃えていたが、真に讃えられるべきは、我々のような凡百のそれではなく、チャン自身のそれであるべきだ。
☓
昨年の私はどうやら私よりも賢かったらしく、今の私には、なにを引き合いに出して「大いなる沈黙」を語っているのかさっぱり見当がつかない。
それはさておき、今回このような文章を書いているのは、この「大いなる沈黙」が、チャンの作品の中で一番好きな作品であるからだ。まだ邦訳の発表前であるが、原文のどこに惚れこんだか、どこにやられてしまったか、それを書いていこうと思う。
この作品は、チャンの得意とする意外性、その意外性を最大化させる巧みな構成、物語を通じて提示されるヴィジョン、そのヴィジョンによって更新される価値観、これらすべてが見事に噛み合っている傑作である。
そして、これらの要素は、すべて最後の一文である「いい子でね。愛してる」によるものである。この文は、原文では「Be good. I love you.」と表現されている。この文は、非常に平易でありながら、二重三重にも意味が重ねられており、チャンの小説の難しさを象徴する文章でもある。
「Be good. I love you.」という文の意味は基本的には字義通りだ。しかしながら、この文には、大人が子供に対して言うようなニュアンスが含まれる*1。作中では、語り手のインコ(オウム)から聞き手である人間に対してのメッセージとして使われており、終始達観した口ぶりで話す語り手のイメージとも確かに合致する。
最後の一文の前にも、「Be good. I love you.」は象徴的に示されている。ヨウムのアレックスの最期の一言がこれであった。アレックスは、飼育員が毎晩「おやすみ」の意味で使っていた「Be good. I love you.」を意味を理解した上で口にしていた。大人の口遣いを子供が真似るようなものではあったが、もしかしたら、ニュアンスをも理解した上で使っていたのかもしれない。アレックス亡きいま、真相を知るものは誰一人としていない。
最後の一文に戻る。
語り手の残した、人類への最後のメッセージが「Be good. I love you.」であった。小説の最後の最後にある「×」は、現実のアレシボメッセージの文末を示す記号に由来し、語り手が宇宙に向けて発信したメッセージである「大いなる沈黙」という文章が宇宙に響き渡った末に(もしくは、宇宙に住む何者かがそっくり返信した末に)、地球に帰ってきたことを示している*2。
そしてそのメッセージの示すところは、「いい子でね。愛してる」という一文に凝縮されている。ひとつめの意味は、字義通り。同じ発声学習者への親慕の言葉だ。ふたつめの意味は、“大人”から“子供”への諫言。「静かにしてないと、悪い人に連れていかれちゃうよ」とでも言うような。みっつめの意味は、語り手から人間への諦観を含んだ軽口。「ぼくはこう言うけど、好奇心旺盛なきみたちには何を言ったって無駄だろう?」という感じか。
「息吹」「商人と錬金術師の門」「あなたの人生の物語」など、過去の作品に見られる穏やかな理解と悟り、諦観、意外性と価値転換、卓越した技巧と執着、全宇宙を網羅するかのような視座、人間の将来への冷静な希望、そしてそれらが他人事ではないと読者に思わせるような語りが、「大いなる沈黙」を作り上げている。「大いなる沈黙」は、紛れもなく、テッド・チャンを代表する傑作である。
翻訳自体について。
この小説は、非常に訳しづらい作品だった。掛け言葉が多すぎるのだ。「the rest of universe」という言葉ひとつとってみても、「宇宙の辺境、余白」という字義通りの意味と、「(背景放射しか存在しない、“静かな”)宇宙の休息地」という文脈上の意味のふたつがかかっていて、私は苦し紛れに「宇宙の平穏でなにもない場所」と「やすらか」として同時に並列して訳出することにした。
また、本作の根幹をなす「aspiration」(呼吸/情熱)という単語に関しては、完全に翻訳不能と判断して単語をそのままにしておいた。
この小説は、全体としてぶつ切りの印象を受けるが、それもすべてはこの作品がアレシボメッセージに沿ったものであるということを示しているということに繋がる(メタ的には、ビデオインスタレーション作品の字幕として最適化された物語であることを示している)。これについても、小説らしく整えたりは一切せず、ぶつ切りのままの印象になるように訳した。
そして、文体については、語り手の超然とした様子や、人間に対して興味と愛を抱いているような口ぶりから、『新世紀エヴァンゲリオン』において渚カヲルが碇シンジに語っている感じの口調を意識して訳している。結果、私が原文を読んだときの印象と同じ訳文に出来たと確信している。(訳者本人が訳文に先入観を与えるような言動をするのは厳に控えるべきだが、私の訳文はもはや表には出ないものなので、私はこう訳した、という宣言として残しておきたい。)
翻訳自体にかかった時間は、初稿で一晩、推敲に一週間ほどといったところだったように記憶している(試し読みしてもらって発覚した誤訳の修正もあったので、一概には言えないが)。
私がこの作品を訳したのは、アメリカの年刊SFF傑作選でこの作品を読んで衝撃を受けたからだった。そして翻訳を軽率に試みて、この作品をじっくりと読み深め、理解していく過程でこの作品の真価を知った。それを広めたくて翻訳しきったものの、早川書房に持ち込むことも、信頼出来る方に読んでいただくこともせず、そのまま眠らせてしまった。もしかしたらチャンの翻訳者になれる千載一遇のチャンスだったかもしれないが、それもいまではどうでもいい。商業翻訳ではなく、世に出る形ではないけれど、確かに私はチャンを訳した。私しかそれを知らなくても、私はチャンの翻訳者になった。
翻訳は楽しかった。もっとみんな軽率に、楽しむために翻訳をやってみればいいのにと思う。
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