SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

中国SF研究Ⅱ「『東北大SF研、中国SFを大いに語る』配布資料追記版」

本記事は、2019年10月12日の夕方から翌13日朝にかけて行われた京都SFフェスティバル2019合宿において主催した企画「東北大SF研、中国SFを大いに語る」の配布資料の追記版である。

なお、企画の内容は勝手ながら企画主催者である下村の判断で拡散禁止としたため、内容そのものはその場限りのお楽しみということにさせていただいた。実際の企画内容は本資料に沿ったものではない。当時実際に配布した資料はPDFとして東北大SF研wikiで公開中。

 

中国SFとは?

一言でいうと、フロンティア。

なにがあるのかまったく分からない。なにが中国で読まれているのかまったく分からない。だからこそ、どんな作品と出会うのか分からなくてものすごく面白い。

 

中国SF・中華SF・華文SFの定義

中国SFとは、中国本土の作家のSFとして定義される。今話題の劉慈欣、郝景芳の作品は中国SFに分類される。

中華SFは、中国本土+香港・台湾などの地域+諸外国の中華系移民など、中国にルーツをもつ作家のSFと定義される。中国系アメリカ人であるケン・リュウテッド・チャン、アリッサ・ウォン*1、台湾系アメリカ人であるジョン・チュー*2などの作品は中華SFに分類される。

華文SFは、中国本土+台湾・香港の作家の作品など、中国語で書かれたSFと定義される。基本的には、中国SFの定義に、台湾や香港などの地域を足したもの。

 

科幻四天王

中国のSF作家(科幻作家)は、もはや追い切れる数ではなく、ひとりひとり話していたらきりがない。ここでは、もっとも有名な四人の作家に絞って紹介する。

劉慈欣(Liu Cixin, リュウ・ツーシン, りゅう じきん)

1963年生。もともとは中国の奥地にある国営火力発電所のエンジニアだった。各種設備をモニターしつつ、職場のパソコンで作品を執筆していたという逸話があるが、真偽のほどは定かでない。そして「三体」発表前後に離職。しばらく無職であったため、金銭的に困難な時期があった。

代表作に「三体」シリーズ、「さまよえる地球」「円」など。邦訳作品に「神様の介護係」*3。長編短編すべて合わせても30作程度に過ぎず、作品数自体はそこまで多くはない。最近は講演を積極的に行っており、あまり執筆活動はしていないらしい。

民族意識にとらわれやすい中国本土の作家*4にあって、劉慈欣はその視野の広さが特徴的。「三体」はもちろん、「円」や「さまよえる地球」と、邦訳作品のすべてでその視座の高さ(全人類的な視点)を感じることが出来るだろう。また、中国人好みの“硬科幻”(ハードSF)を得意とし、中国本土では絶大な人気を誇る。一方で、エンジニアだったためか、科学者や科学に対して謎の理想像をもっていて、中国では過剰な描写ではないかとの指摘もある*5

“科幻四天王”として紹介したが、実際には、『科幻世界』が劉慈欣とほかの3人を一緒に売り込むための 宣伝文句が定着したと見るのが正しいか。人気という面でみれば、劉慈欣が明らかに飛びぬけて人気で、次いでカルト的人気を誇る韓松、そしてほかのふたりという感じ。

王晋康(Wang Jinkang, ワン・ジンカン, おう しんこう)

1948 年生。執筆活動に入るまでの生活については不明な点が多い。

代表作に「水星播種」など。邦訳作品に「プロメテウスの火」、「養蜂家」、「天図」、「生命の歌」。

四天王の中で突出した年長者であり、商業デビュー自体は遅いものの、作家としての世代でも明らかに数世代上の大ベテラン。生命に関する著作が多いのが特徴で、比較的年齢が上の層のファンが多い。小説の語りは、ベテランだけあって四天王の中で一番上手い。作品の出来には波があるものの、全体として読みづらい印 象はない。中国本土のSFファンは、90年代の作品を評価する一方、00年代以降の作品に対してはそこまで評価していない。これは、王晋康があまりにも生命のことばかり扱うので、若いファンからは飽きられているといったことが原因か。加えて、文中での女性に関する描写や人物造形が前時代的であり、そのことも若い世代からは評価されていない原因になっている。

何夕(He Xi, フー・シー, か ゆう)

1971年生。執筆活動に入るまでの生活については不明な点が多い。

代表作に「傷心者」など。邦訳作品に「雨ちゃん」、「たゆたう生」。

四天王の中では一番若く、ジュヴナイルっぽい作風が特徴。古典の要素を取り入れたり、主人公が何夕自身であったりと、非常に特異的な文体の小説を書く。センチメンタルで抒情的な、時空を自由に操る大スケールな物語が評価されるものの、その自意識過剰気味な文体を嫌う声も根強い。 何夕や宝樹など、中国の若手作家は時間SFを得意とする傾向が強く、また作品も多く出版されているのでその人気がうかがえる。日本でも時間SFは根強い人気をもつが、やはり共通する何かがあるのだろうか。

韓松(Han Song, ハン・ソン, かん しょう)

1965年生。新華通訊社新華社通信)の記者・編集者として勤務するかたわら、創作を続けている。要は中国共産党直属のジャーナリストなのだが、その取材経験を活かした風刺や政治批判を得意とする。

代表作に「紅色海洋」、「地鉄」、「美人狩猎指南」など。邦訳作品に「セキュリティ・チェック」、「再生レンガ」、「水棲人」。

全体的に独特の読みづらさをもつ中国SF界の中でも、ひときわ読みづらく、読みづらいがゆえに高い中毒性をもつ作家。読みづらさの原因としては、中国国内の政治的な問題がテーマとなっていることや、晦渋極まる文体、難解な表現などが挙げられる。また、中国のSFは、難解で重苦しい主題を扱いたがる傾向*6にあり、 韓松の作品はその最たる例と言える。

中国のポストモダン文学といえば、まず莫言、二三歩下がって韓松といった感じで、中国のポストモダン文学を代表する存在としても純文学界隈からも知られている*7

 

韓松「暗室」について

現在、本企画の登壇者ふたりで韓松の中篇「暗室」の翻訳をすすめている。 本作は、2009年の第1回星空賞*8短編小説賞を受賞した作品で、韓松の作品の中でも過激な内容で知られ、 韓松の特徴がよく出ており、また中国国内の政治的状況に詳しくなくても読むことが出来る作品でもある。

作品の詳細に関しては下記の記事を参照されたい。

shiyuu-sf.hatenablog.com

版権取得までの経緯

一応参考程度に、私がどのようにして韓松の「暗室」の版権を取得したかについて記す。

前回の潘海天「偃師伝説」の際は、同作を掲載し、現在も版権を持っている《科幻世界》編集長の姚海軍に直接電話をかけ、同人翻訳に限って翻訳権を取得した。

今回の韓松「暗室」は、《科幻世界》ではなく、ウェブ雑誌の『新幻界』に掲載された作品であり、前回と同じ手段では連絡が取れなかった。しかし、私個人がTwitterで《新幻界》公式アカウントにフォローされていたので、中国語でDMを送り、韓松への連絡を仲介していただいた。結果、韓松から直接、同人翻訳に限って翻訳権を認めていただき、今回の訳載につながった。

中国本土では、電子メールよりもチャットツールでのやりとりがはるかに盛んであり、また中国のグレート・ファイア・ウォールによってGmailなどの主要な電子メールがほぼシャットアウトされてしまうので、インターネット全盛の今日にあって、中国本土の人間と連絡を取るのはなかなかに難しい。しかしながら、中国語が出来るならば、直接電話をかけたり*9SNSでDMを送ったりすれば、メールを送るよりもはるかに簡単にコンタクトが取れる。基本的に、中国のSFの人たちは、同人翻訳に関して非常に好意的に接してくれるので、きちんと連絡して、非商業的であることを伝えれば問題ないと思う。

 

中国SFの特質

中国SFの最大の特徴:政治性と民族性

中国SF最大の特徴は、その作品群が中国の政治性・民族性と不可分であるところにあると私は考えている。

しかしながら、韓松の項で触れた通り、中国の政治や民族に関わる作品は総じて外人である日本人やアメリカ人には理解しがたいものが多く、また日本やアメリカに紹介されている中国SFはそのほとんどがこの政治性・民族性からは離れた作品ばかりである。私は実際に中国SFを読んでいく中でこの特徴に気づき、この特徴を日本に伝えたいと考えて活動を行なっている。

以降、中国SFの特徴とは作品が政治性・民族性と不可分であるということを前提として論をすすめる。

中国SFの体現者:韓松

中国本土のSFを読んでいると、中国のSF作家たちが、飛躍的な発展を続ける中国の政治的・経済的影響を背景に、西洋の象徴たる科学と中国を象徴する文学の一種の融合点である科幻小説に対して、西洋社会と中国社会の接点としての意味を見出していることが作品から読み取れる。また、作品の端々で、科学と向き合う人間、科学を用いる人間を通じてみずからの民族や政治を問う姿勢もうかがえる。この姿勢は、清朝末期に西洋の科学を普及するための小説として中国に導入された科普小説(科学普及小説)にまで遡れる。

そのなかで、中国SFのもつ政治性と民族性をよく体現しているのが、韓松の作品だ。

韓松の作品は、政治性と民族性について、その批評精神においてもっとも優れている。その批評精神を支えているのが、先に言及したジャーナリストとしての知見だ。ジャーナリストとして国内外の様々な事情に通じ、取材経験と中国に対する前向きな問題意識、そしてそれらを表現することを可能にしたSFという技法を持ち合わせた韓松は、SF小説でしか出来ないような挑戦的な試みを経て、政治・民族という超重量級のテーマを自在に操る中国SF最高峰の作家として知られることとなった。

一方で、中国SFが陥りがちなのは、西洋と中国の対立構図を意識するあまり、中国を自画称賛的にもちあげるような視野狭窄である。韓松が成功しているのは、豊富な取材経験と文学的技法を持ち合わせているからであって、並の作家では政治・民族というテーマを扱いきれない。政治・民族という中国SFに共通するテーマにおいて、私の知る限り、韓松の右に出るものはいまのところ現れていない。

中国SFを超克する中国SF:別格としての劉慈欣、そして陳楸帆

上述の通り、中国SFの特徴である政治性と民族性は、作家の技量によって上手くはたらくこともあれば、視野狭窄をまねく可能性もある。この特徴に真正面から挑み、見事我がものとした中国SFの体現者が韓松ならば、その特徴をもってその特徴自身を乗り越えた中国SFの超克者が劉慈欣だ。

劉慈欣は、明らかに中国SFのなかで別格の存在。劉慈欣を別格たらしめているのは、政治性・民族性を前提として、着眼点をそのままに、その批評的な視線を人類全体に向けるところにある。

この劉慈欣の全人類的な視座がよく出ているのが、「三体」シリーズだ。『三体』では、冒頭の文革によって共産主義の失敗を、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を引用することで資本主義の失敗を描いた。ここで劉慈欣が描きたいのは、資本主義や共産主義という思想そのものがダメだということではなくて、そんな思想しか生み出せない人類そのものがダメなのではないか、ということである*10。「三体」シリーズでは、三体人の文明や思考形態、そしてそこから生み出される思想を理解することによって、人類全体に疑問を投げかけるという姿勢をとる。特に『三体Ⅱ:黒暗森林』の冒頭部(SFM2020年2月号掲載)でこの姿勢が明らかにされ、問題意識が明確にされた上で物語が展開していくことになる。

このような全人類的視座を備えた作家は、これまで中国には劉慈欣しかいなかったのだが、近年では陳楸帆がこの視座から世界を捉えようとしている。そのことが明白に読み取れるのが、今年翻訳されたばかりの長篇『荒潮』だ。

陳楸帆は、これまでサイバーパンク脳科学、そして現代中国の直面する問題にそれぞれ取り組んできたが、それらを短篇の中で独立に扱うだけで、結びつけて描くには至っていなかった。また、それらの主題に実直に向き合うあまり、いまひとつエンタメ性に欠け、小説として読んでいて若干苦痛に感じることもあった。しかしながら、この『荒潮』では、それらの主題をエンタメを介してつなぎ合わせることに成功し、その上で真面目な、真摯な態度で人類の直面する問題に取り組んでいるのが非常に好印象だった。大変苦しい創作になることが予想されるが、その先には必ず新しいヴィジョンがあると私は確信出来たので、期待して待とうと思う。

長らく劉慈欣の独走状態が続いていたが、これからは陳楸帆の取り組みにも注目すべきだと考える。

中国SFのオリエンタリズムという先入観:ケン・リュウを通じて中国SFを知ることの危うさ

ケン・リュウ、中国SFの紹介者にして改作者

さて、2020年現在、日本に紹介されている中国SFは、ほとんどすべてケン・リュウアメリカへの翻訳を通じた重訳*11によるものである。

ここで問題になるのは、そのケン・リュウが、アメリカへの翻訳にあたって、アメリカ人受けするように小説を改稿しているということである。

この改稿は、必ずしもケン・リュウの故意によるものではない。アメリカでは、アメリカ人受けするように訳文に手を加えるのは当たり前であり*12、ときには出版社が翻訳者に改稿を迫るケースも存在する。また、中国SFに関しては、作者本人が中国本土では出版出来ないような過激な原稿を提供して翻訳してもらうケースが存在する*13*14。いずれにせよ原文と英訳とで差異が生じているのは、中国SFそのものを知る上では非常に大きな問題である*15

中国SFの特徴を知りながら

ケン・リュウが翻訳に際して改稿を加えているらしいということについて、中国SFの特徴を理解していないのではないかと考えることも出来る。しかしながら、これは明確に否定される。なぜなら、ケン・リュウは、自身の作品の中で、いかにも中国SFらしい特徴を醸し出しているからだ。

中国SFの特徴である政治性・民族性は、ケン・リュウのほとんどの作品に見ることが出来る。代表的なところでは、「紙の動物園」「良い狩りを」「もののあはれ」「結縄」「文字占い師」が挙げられる。

リュウの作品について、中国SF・中華SFにはオリエンタリズムや物珍しさだけを求めているというのであれば、それでもいいかもしれない。だが、私は、中国SF・中華SFにはもっと普遍的な魅力があると、そしてより普遍的で素晴らしいものを見せてくれる作品が現れてくると考えている。その上で、中国SF・中華SFに対して先入観を与えるような翻訳になってしまっている原因であるケン・リュウを批判せざるを得ない、というのがいまの私の考えである。

最後に強調しておきたいのは、私はケン・リュウを叩けと言っているのではなく、 ケン・リュウの翻訳は中国SFを知る上で読者に先入観を与えてしまうなものになっていると警告している、ということである。

 

中国のネット小説

基本的に、日本と同じく、有象無象の「なろう小説」的な質の低い、自己満足的な作品が多い印象。光る作品もあるようではあるのだが、あまりにも作品数が膨大なので、私一人ではとても把握しきれない。

紙面に発表される同時代の中国SFも追い切れていないのが実情なので、出来る人がいるならその人にネット小説方面はお任せしたい、というのが本当のところである。

 

中国SF界の問題点

中国において、真にSFの歴史がはじまったといえるのは、80年代後半から90年代初頭にかけてのころ。「三体」の大ヒットがあったとはいえ、まだまだ歴史は浅く、様々な難題をその身の内に抱えている。ここでは、それらの問題を見ていく。

編集者の不足

80年代後半から本格的に活動がはじまった中国SF界隈では、まだ作品の質を見極めることの出来る有能な編集者の数が足りていないように思う。

なぜいまそれを訳すのか分からないといった感じの作品群*16が多数翻訳されていたりする一方、訳されてしかるべき超有名作家の作品*17が訳されていなかったりと、特に海外作品に関して、質を見極められるような眼をもった編集が少ないのではないかと考えられる。

中国SFには、生命や自意識、自由意思に関する重厚なテーマをもつ作品が多くみられるが、それらのテーマを考えるならば、イーガンは読んでおいた方がいいのではないかと思う。しかし、イーガンが中国でほとんど翻訳されていない以上、それもなかなか難しい状況にある。

翻訳者の不足

編集者と並んで、有能な翻訳者の不足も指摘される。

小松左京の作品は『日本沈没』『果しなき流れの果に』などが翻訳されているが、一部の作品については訳が悪くて読みづらいとの指摘がウェブ上に多数存在する。

まだ本格的に国外SFの翻訳紹介がはじまって30年も経っていないので根本的な人材不足も考えられるが、小松左京ほどの作家の作品が翻訳の問題にさらされているのはなかなか心苦しい。

批評家の不足

『科幻世界』やその他の中国のSF雑誌を読んでいて気付くのは、批評を掲載していることがほとんどない、ということである。一応、中国で公開を控えていたり、当時人気であった映画の解説や、有名作家による書評、あるいは特集解説という形で紹介文が掲載されることはあるものの、体系的な批評が確立されていないように感じられる。

編集者、翻訳者、批評家の不足と、日本におけるSF黎明期と比較すると、書き手はいても、という状況がうかがえる。現在の中国のSFファンには若い世代のファンが多いので、それらのファンが成長し、活動をはじめるようになっていけば自然と解決されていくのかもしれない。

話はそれるが、以前《科幻世界》編集部とコンタクトをとった際に、円城塔伊藤計劃について解説を書けるのだがどうか*18、と自分を売り込んでみたら、とりあえずその文章を書いて送ってほしいと興味を示していた様子だった(《科幻世界》に掲載が決まれば原稿料をもらえるのだが、没になったら完全に努力が水の泡なのでなかなか筆が進まず、原稿を渡すのはのびのびになっている)。今後、中国に日本のSFを売り込むなら、日本における評価や、作品の解説とセットにする、ということも行っていくべきだろう。

SF市場の小ささ

実際のところ、中国のSF作家の大部分は金銭的な問題に直面している。中国本土のSF作家のほとんどが 兼業作家であり、創作に専念出来るような環境にある作家はごくわずかに過ぎない。「三体」シリーズを2000万部も売った劉慈欣ですら、「三体」シリーズ以外の作品の売り上げはブームの前後でさほど変わっていないのだという。

『科幻世界』は新規ファンの獲得や将来のSFを担う人材育成を目標として、主に学生世代に向けてマーケティングを行っているのだが、まだ未来への投資という感じで直近の利益にはつながっていない。『科幻世界』がいくら売れたところで、1冊の価格はわずか8元。日本円にして130円程度でしかない。

この状況が変わるきっかけになったのが、今年の劉慈欣の短篇「さまよえる地球」を原作とした映画『流転の地球』の大ヒットである。国内外の企業が、SFは売れる、ということに気付き、中国のSF小説の映画化権をおさえにかかり、将来のドル箱の囲い込みをはじめた。中国の巨大IT企業テンセント*19は、中国国内で新たにSF文学賞を設け、将来の映画化を見込んで原作の確保と才能の発掘に乗り出している。

今後もこの状況が続き、商業的な成功を収めていけば、作家が執筆に専念出来るような環境が整えられていくことだろう。

 

総括

中国SFは、本格的に歴史がはじまってまだ30年にも満たない。個人的な印象では、現在の中国SFは、 日本における60年代~70年代初頭くらいの作品と同程度の完成度と感じる。

中国SFの問題は、中国国内の事情によるものと、歴史の浅さとのふたつに起因する。2019年現在において、中国SFがアメリカや日本のSFよりもいいものであるとは感じられない。しかしながら、人材が充実した10年後にどうなっているかは、向上しているにせよ失速しているにせよまったく分からない。

私に出来るのは、同時代の中国SFに対して、同時代の人間として出来るだけ客観的な評価を下し、それを将来に伝えるとともに、商業翻訳されなさそうな中国色の濃い作品を着実に翻訳紹介していくことであると考えている。将来的には、先の《科幻世界》への寄稿の件のように、日本から中国に向けて、なんらかの形で中国SFの発展に貢献出来るような活動も出来れば、と思っている。

中国SFを読んでいて、または翻訳していて一番楽しいのは、作品の細部から、もしくは根底から、香り立つ中国らしさが読み取れることである。中国以外の作品でかつて出会ったSF的アイデアが、別の装いをもって目の前に現れるのがとても面白い。たとえ中国文化を露骨に下敷きにしなくても、チャイナドレスの美女が出てこなくても、中国SFには、自然と中国らしさが立ち上がってくる。中国から離れようとして書かれた小説であっても、文体が、発想が、展開が、自然と中国らしさを体現している。作品を読みながらそれを見出すのが、とても面白かった。

結局のところ、私は中国SFが好きなのかもしれない。

 

中国SF・中華SFを知るために

残念ながら、中華圏以外の中華SFに関するまとまった日本語の資料が存在せず、また中国のSF作家たちに関する情報にはかなり不明瞭なものが多いので、資料の充実に期待したい。(私がやるべきなのだろうか?)

『中国科学幻想文学館』武田雅哉林久之、大修館書店、2001

2001年刊行と、少し時間は経ってしまっているものの、20世紀末までの中国SFを知るには最良の1冊。中国SFに興味があり、まだ読んでいないならば基礎文献として購入することを薦めたい。

中国科学幻想文学館〈上〉 (あじあブックス)

中国科学幻想文学館〈上〉 (あじあブックス)

  • 作者:武田 雅哉,林 久之
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2001/11/01
  • メディア: 単行本
 
中国科学幻想文学館〈下〉 (あじあブックス)

中国科学幻想文学館〈下〉 (あじあブックス)

  • 作者:武田 雅哉,林 久之
  • 出版社/メーカー: 大修館書店
  • 発売日: 2001/11/01
  • メディア: 単行本
 

雑誌『東方』451~453 号、東方書店

立原透耶先生の連載「中華圏SFほんのさわり」が掲載されている。本記事では最近の若手SF作家についても触れられているので、『中国科学幻想文学館』とあわせて中国SFの概要を掴むことが出来る。

研究ノート『中国科幻小説の諸相』

ウェブ上で無料公開されている、立原先生の研究ノート。北星学園大の学術情報リポジトリからアクセス可能。

「卜部理玲のSFブックガイド」より「メモ:現在手に入る中国SFリスト」

東北大SF研バーチャル会員の卜部理玲がまとめた中華SFの翻訳を(なるべく)網羅したリスト。随時更新中。

scrapbox.io

 

*1:中国とフィリピンにルーツをもつので、一概に中華SFと断じるには難もある。ネビュラ賞ヒューゴー賞ローカス賞世界幻想文学大賞などを受賞。

*2:「The Water That Falls on You from Nowhere」で 2014 年のヒューゴー賞短編小説部門受賞。

*3:日本ではあまり知られていないが、本作には「人間の介護係 (仮題)」という続編が存在する。

*4:後述。日本に紹介されている作品だけで確認することは困難だが、民族性と政治性こそが中国SF最大の特徴である。

*5:「三体」で言えば、豆腐メンタルすぎる理論物理学者たちがこれにあたる。劉慈欣としては、科学者というものは、常に崇高な理想に燃えていて、理想が破れると精神も崩壊してしまうものらしい。同様の問題は、後述の王晋康にも見られる。

*6:これには、中国においてSFが子供の読み物扱いされてきたことに原因があると考えている。これを払拭したのが劉慈欣の「三体」 であり、韓松の作品群であった。

*7:かつては並置されたこともあったのだが、莫言ノーベル文学賞を受賞したので同格ではなくなった。

*8:中国のSF文学賞のひとつ。「暗室」と同年の翻訳小説賞では、チャン「息吹」、スティーヴンスン「スノウ・クラッシュ」、ル=グィン「闇の左手」などオールタイムベスト級の作品を抑え、圧倒的な得票差で筒井康隆時をかける少女」が受賞した。

*9:中国と日本とでは、基本的に1時間の時差が存在するので、そこだけは注意すること。

*10:『三体』が単なる馬鹿SFだと認識されているのは大変残念だが、それも仕方がないと思う。劉慈欣はものすごく器用な作家というわけではなく、『三体』では馬鹿SF的な展開で手一杯になっている印象が強く、人類全体への疑問提起までは手が回らなかったようだ。

*11:劉慈欣『三体』、陳楸帆『荒潮』、現代中国アンソロジー『折りたたみ北京』『月光』

*12:“『ハーモニー』のなかで伊藤計劃は、日本社会独特の空気感、集団主義を「空気」という語に託して何度も使っていますが、英語版ではその「空気」という言葉をすべて飛ばしています。”《三田文学》2019年春季号、120頁、仏文学者新島進の発言。
英語圏は特に強く編集が介入してくる。だから、日本の原作で変だったり下手なところは、勝手に直したりします。”同、ロシア東欧文学者沼野充義の発言。

*13:『三体』冒頭の英訳版と原文とにおける差異は後者のケース。

*14:“実際に中国のSF作家さんに聞くと、多くの方が英語用に直すときに別バージョンを提出しているということでした。”“「アメリカや欧米の英語圏の読者向けに翻訳され、解説もされ改変されているので、我々独自のものではない」と主張するわけです。”《三田文学》2019年春季号、116頁、中国文学者立原透耶の発言。

*15:具体的には、『折りたたみ北京』収録の陳楸帆「鼠年」で原文の主題を損なうほどの改編が行われているが、これについては別途原文・訳文を引用して論じたい。

*16:ソ連SF、クレス、シルヴァーバーグ、ベイリー

*17:イーガン、ティプトリーエリスン、ル=グィン、バラード、オールディス、ディレイニー
かろうじてイーガンは訳されはじめたものの、日本語訳からの重訳ではないかとの指摘も存在する。なお、数年前まではチャンも同人訳しか出回っていなかった。

*18:伊藤計劃は中国ではあまり人気ではない。SF小説としてではなく、ただの軍事小説としか認知されていないようだ。円城塔については、ほとんど紹介されていないままになっている。これらに関して、きちんと解説した文章を書きたい。

*19:映画から漫画、アニメ、ゲーム、電子決済など、広範な企業範囲をもつ総合IT企業。ゲーム業界では世界最大の売り上げを誇る。日本ではなじみが薄いかもしれないが、時価総額ではGAFAに並ぶほどの超巨大企業である。