SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

SF遍歴、そしてSFファンとしての世代間隔絶

去年から積極的にSFイベントに顔を出すようになって、SFファンとしての世代の差というものをしかと実感するようになったので、私が楽しんできたSFを順番になぞっていってひとつ文章にまとめてみようと思う。

この文章を通して読めば分かる通り、私のSF遍歴は極めて特殊なものではあるのだが、それでも面白い発見が得られるようなものになっていると思う。(そもそも、私の世代で積極的に発信している人間が非常に少ないのだから)

SF遍歴

幼少期(96〜03)

1996年(平成8年)11月、新潟県長岡市*1の生まれ。なので、『エヴァ』(95年)は生まれる前の作品だし、オウムも阪神大震災(どちらも95年)も知らない。手塚治虫(89年没)はとっくに死んでたし、藤子・F・不二雄(96年9月没)とも被っていないし、星新一(97年没)も知らない。

 

はじめて観たスーパー戦隊仮面ライダーは、2000年放映開始の『タイムレンジャー』と『クウガ』。当時(幼稚園年少)のころの将来の夢はタイムロボ。

父の影響もあり、幼稚園の頃からケーブルテレビでいろんな特撮を観ていた記憶がある。初手『ウルトラQ』、ウルトラマンシリーズは『タロウ』まで全部、仮面ライダーは『ストロンガー』まで全部と『BLACK』『RX』、戦隊ものは『ゴレンジャー』と『ジャッカー』。ケムール人が怖くて泣いた。

あと、当時人気だった『そーなんだ!』(02〜04?、デアゴスティーニ、全130巻)という週刊の百科事典を買ってもらって熱心に読んでいた。創刊号を発売当初に買い与えられて一言一句覚えるレベルで読み込んでいた記憶があり、またあまりに熱心だったので幼稚園の卒業文集の親からのメッセージにもそれについて書かれた。

小学校(03〜09)

2003年、小学校入学。もともと両親ともに本をよく読む人だったので、幼稚園の頃から本には事欠かなかったが、小学校でそれがさらに加速。教科書が配られればその日のうちに国語、道徳の教科書はすべて読み終え、親向けの配布物もしっかり読みこんでしまうタイプだった。漢字は既に大概読めていたので、読めるものはなんでも読んだ。

小学校入りたてのこの頃、特に記憶に残っているのは親が読み聞かせ用に買っていた『決定版 まんが日本昔ばなし101』(2002、講談社)と世界の昔話を集めた本(書名が特定出来なかった)を何度も読んでいたこと。この中で一番記憶に残っているのは、『日本昔ばなし』の「ふるやのもり」。この作品は滑稽ばなしなのだが、なぜか怖い話として記憶していた。このことについて中高のころ父に聞いたところ、「面白い話でいかに怖がらせられるかどうか実験してみた。10年越しに大成功」とのこと。息子で人体実験をするな。

さて、ほかに辿った本はといえば、おなじみ『かいけつゾロリ』や『デルトラクエスト』あたりが真っ先に挙がる。そしてなんか気になって樋口一葉の「にごりえ」「たけくらべ」とか、漱石の「草枕」「吾輩は猫である」とかも読んだ。意味はわからなかったが、当時の私には、日本語が書いてあればすべて同列に本だった。

日本語乱れ読み状態だった私が小2か小3で買い与えてもらったのが、星新一の『ボッコちゃん』だった。これに出会って、意味がわかってものすごく面白くてものすごく短い、というのに惹かれて星新一を手当たり次第に読んでいった。この時はまだSFを意識していなかった。

私がSFを意識するようになったのは、小4であさりよしとおの『まんがサイエンス』に出会ってから。2巻収録のシリーズ「ロケットの作り方おしえます」でヴェルヌと、3巻収録のシリーズ「ロボットの作り方おしえます」でチャペックと間接的に出会い、『まんがサイエンス』の面白さを求めてSFに手を出した。とりあえずこの時点で“星新一もSFである”ということを知っていたためにSFへの抵抗はなかった。そして小学校の図書館で見つけ出して読んだ、はじめてSFと意識して読んだSFが岩崎書店の《冒険ファンタジー名作選》。確か全部読み切ったはずで、その中で一番気に入ったのがヒューゴー・ガーンズバック「ラルフ124C41+」の児童向けリライト「27世紀の発明王」、ついで「いきている首」(べリャーエフ「ドウエル教授の首」)、「ロスト・ワールド」(ドイル「失われた世界」)、「火星のプリンセス」(バローズ)という感じ。“ゴセシケ”(レイモンド・F・ジョーンズ『合成怪獣の逆しゅう』)も読んだはずなのだが記憶に残っておらず残念。この叢書を読み終えると、学校の図書館にSFがそれ以上なく、SFは星新一だけをしばらく読み進めることになる。

あと、小4以降はゲームをよくするようになったのも大きいかもしれない。当時は『どうぶつの森e+』や『ピクミン』『ポケモンDP』をよくやっていた。特に『ピクミン』にはどハマりして、何度脱出に失敗しても、メモを取りながら必死にやっていた。それと親がかつて遊んでいたファミコンソフト(特に『ドラクエ』の1、2、3)をやっていた。

漫画の方面だと、家では『ドラえもん』『パーマン』あたりのF作品を、学校では『火の鳥』『ブラック・ジャック』『はだしのゲン』、そして横山光輝三国志』『項羽と劉邦』あたりの、学校にも置かれている“健全”な漫画を読んでいた。(横山三国志は何度も読み返したが、キャラの見分けはいまだにつかない)

話はそれるが、小5の時におたふくかぜ(2回目)にかかり、1週間ほど布団から起き上がれなくなり、ずっと本だけ読んで過ごしていた。この時に『まんがサイエンス』4巻以降と、漫画版『風の谷のナウシカ』全巻、『ゲゲゲの鬼太郎』、『釣りキチ三平』などを与えられて読んでいた記憶がある。病床だったので、『まんがサイエンス』5巻(「内宇宙から外宇宙まで」)収録のインフルエンザと免疫の話がめちゃめちゃ面白かった。”内宇宙インナースペース”という言葉を知ったのもこの本。のちのニューウェーヴへの興味に繋がる。

中学校(09〜12)

2009年、中学校入学。バスケ部に入って読書などの時間は目減りした。一方で、小学校から引き続き読書の時間的なものが時間割に毎日組み込まれていたので、一定程度の読書は続けていた。

この頃、流石に星新一も読み尽くしていて、父に「星っぽいのが読みたい」と本をねだったところ、当時新刊で出ていた筒井康隆『秒読み』(09、福音館書店)を買い与えられるとともに、同時に父が中学生だった頃*2に読んでいた筒井康隆の文庫本も与えられた。そしてこれによって人生が完全に狂う。一番最初に読んだ筒井は『秒読み』冒頭の「駝鳥」で、同書収録の「蟹甲癬」に心を奪われ、しばらく筒井ばかりを読んでいた。

『笑うな』『くたばれPTA』『懲戒の部屋』『宇宙衞生博覽會』『エロチック街道』(すべて新潮文庫)、『陰悩録』『佇む人』『日本以外全部沈没』(すべて角川文庫)あたりを読むも、飽き足らずに「星・筒井っぽいのが読みたい」と本をねだったところ、同じく父が中学生ごろに読んでいた小松左京の文庫本を大量に与えられた。ついに御三家が手元に揃い、彼ら三人が”SF御三家”と呼ばれているということも知る。以後、御三家の新刊で流通している本は筒井の実験的な長篇を除いてほぼすべて読み尽くした。

筒井・小松を読み尽くした後、改めて星新一の『ボッコちゃん』『ようこそ地球さん』に戻ってきたら、内容を忘れていたので二度目も夢中になって読み進めた。以降、星と筒井・小松の間を行き来して無限ループに入る。これが中2の冬あたりまで。

私がSFに関する事件で明確に覚えている最初の事件が起こる。2011年の小松左京の死去だ。学校から帰って来てテレビをつけたら小松左京死去のニュースをやっていて、とても信じられなかったのをよく覚えている。作家の死というものにはじめて直面して、なにが起こっているのかよくわからなかった。(いまでもよく掴み切れていない)

また、中学入学前後で、ガンダムをファーストから『ZZ』まで観て、のち『F91』までの宇宙世紀系統の作品と『Gガンダム』を観る。オマケでガンプラにもハマる。

14になった誕生日の次の日あたりに、父から「14になったんだからこれぐらい観ておけ」と『エヴァ』TV版・旧劇のDVDをまとめて渡され、2週間ほどかけて視聴し、無事エヴァファンになる。ついでに吉崎観音の『ケロロ』やあさりよしとおあたりも与えられ、中二特有のマニア気質もあって趣味が偏る。

そして、中2ではじめてハヤカワ文庫SFに手を出すことに。はじめて手にとったのがディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』で無事敗北*3。「SFって難しいんだな」と若干挫折するも、中二くさい「理解出来ないものへの憧れ」を捨て切れず、とりあえず『まんがサイエンス』に引用されていたアシモフ『われはロボット』、ヴェルヌ『月世界旅行』、ウェルズ『宇宙戦争』、チャペック『R. U. R.』を読む。これでアシモフにハマり、ハヤカワのロボットものをすべて読んだ。そして星新一筒井康隆が褒めていたフレドリック・ブラウンに手を出し、こちらも創元で出ている分はすべて読んだ。これで気を良くし、星がベタ褒めしていたブラッドベリ火星年代記』を読みどハマりする。

一方でゲームの方は当時人気だった『モンスターハンター2ndG』にハマり、『カルネージハート EXA』にもだいぶ時間を吸い取られた。

高校受験期になると、御三家もブラッドベリ、ブラウンも読むものが尽き、ほかはハインラインとクラークをちょっとなぞっただけで、なんとなくSF小説からは離れてしまった。かといって、当時流行っていたラノベ*4などには興味が微塵もなく、ブルーバックスなど科学啓蒙書を読むようになっていた。

あと、09年の新型インフルエンザ大流行時に私も罹患し、1週間ほど寝込む。あさりよしとお宇宙家族カールビンソン』、藤田和日郎うしおととら』あたりを読んでいた記憶がある。

高校+宅浪(12〜15+16)

2012年、長岡高校*5理数科に入学。部活は再びバスケ部に入部、疲れ果てて授業中も帰宅後も寝て過ごしていた。

入学当初は部活に忙殺されて本を読む時間もなかったが、慣れてきて部活の遠征などでまとまった時間が発生するようになると、再び本を読み出した(勉強はしなかった)。

高2(2013年)のころ、御三家ではなく同時代の国内SFを求めて土曜昼の部活終わりに長岡駅前の本屋に行き、そこで“ゼロ年代最高のSF”というPOPに惹かれて(生意気にも)試すつもりで買って読み、はじめて星新一を読んだとき以来の衝撃を受けたのが、伊藤計劃の「虐殺器官」だった*6。なにが衝撃だったかって、日本人の作家って、核兵器をこんなにも軽く扱ってよかったんだ、という衝撃が一番だった。御三家で育った私にとって、核は絶対のタブーだったし、東日本大震災のあとならそれがなおさらで、“読み終えたあと、世界が変わって見える感覚”を、私は「虐殺器官」冒頭のサライェヴォの核テロと印パ核戦争の描写から受け取った。その衝撃のままに読み切って、翌朝本屋に「ハーモニー」を買いに走った。

The Indifference Engine』もバッチリ読んだのち、こんな作家がいたなんて、と思ってネットで計劃の作品についても調べ、ここでようやく計劃が既に死んでいたことに気がついた。

そのままwikipediaの計劃の項を読んでいるときに、計劃に円城塔という盟友がいたことを知る。そのまま円城塔の項に飛び、円城塔が東北大SF研の出身で、理学部物理学科卒で、しかも東北大SF研が現存していることを知る。もともと志望先に東北大理物を考えていた*7こともあり、円城塔の作品に興味をもって『Self-Reference ENGINE』を読む。最後の短篇「Self-Reference ENGINE」に心を奪われ、続けて『Boy's Surface』を読むも、当時はまったく理解出来なかった。それでも円城塔をなんとか理解したいという気持ちがあり、東北大の理物に入学してSF研に入り、円城塔の後輩に直接教わろうと考えて東北大理学部物理学科を第一志望に決めた。この伊藤計劃円城塔との出会いがきっかけでSFを明確に意識するようになった。

流石に高2の1月以降の大学受験期は小説を読んでおらず、ずっと勉強をしてはいたが、部活を理由に勉強をサボっていた数学をカバーしきれず前期の東北大は不合格。後期の新潟大は合格したが、どうしても東北大を諦められず、浪人を選ぶ。予備校には通わず、近所の図書館に毎日通って宅浪生活を送る。流石に反省し、読書など勉強以外のことはほとんどせず、真面目に受験勉強を続け、無事一浪で東北大理物に合格。

合格後の喜びの中、以前手を出して敗北したディックに手を出し、ハマる。気を良くしてイーガンとチャンにも手を出し、大いにハマる。

あと、母も本読みであり、伊坂幸太郎有川浩宮部みゆき米澤穂信北村薫など、人気エンタメ作家の作品は全部読んでいるような人だったので、高校+浪人時代に私もちょいちょいは読んだ。特に、伊坂は東北大法学部出身だったので、そこそこ読んだ。

大学でSF研に入るんだったらこれでも見ておけ、と父が渡してきたのが押井守の『劇パト』の1、2。無事押井ファンになる。

大学(16〜20)

2016年、東北大学理学部物理系に入学。SF研のwikiを頼りに東北大SF研を尋ねたところ、「wiki開設以来はじめてwiki見て入ってきた新入生」「親譲りの御三家はガチ」と畏れられる。小川一水押井守小松左京という怒涛の歓待を受け、星新一筒井康隆で反撃してすっかり馴染む。円城塔について先輩に尋ねるも、「あれはわからんけど面白い」とだけ帰ってくるだで、理解していると口にする人はいなかった。活動は楽しかったのだが、講義や実験で忙しいこともあって、1年のうちは部室にはほとんど近づかなかった。

また、この年は『シン・ゴジラ』『君の名は。』と映画が大当たりの年で、これに大いにハマり、新海誠作品を全制覇。そして庵野秀明から遡って押井の『攻殻機動隊』を履修。士郎正宗も一通り読み漁り、サイバーパンクへの興味をもちはじめる。

17年、サークル執行代の2年になり、当時SF研が傾いていたこともあって、精力的な活動をはじめるようになる。SF研の同期壁石九龍ときちんと会ったのも、推理研の同期本淵洋と知り合ったのもこの春のこと。私のSFファンとしての活動は、この年の秋以降のことになる。

あと、SF研に入って、先輩方と話すなかで、はじめて翻訳者という存在に気づいた。浅倉久志伊藤典夫の話からはじまって、大森望山岸真黒丸尚と翻訳者についての話を聞き、ギブスン「ニューロマンサー」で実際に黒丸尚の訳文に触れ、サイバーパンクの世界観よりも黒丸文体に惹かれる形でサイバーパンクを読みはじめる。サイバーパンクを読むにあたっては、「ニューロ」の解説で挙げられていた作品名を意識していた。ここでこの解説文の著者が山岸真であることに気づき、イーガンと結びつく。先輩に無類のイーガン好きがいたこともあって、短篇しか読んでいなかったイーガンの長篇を読もうと決意、しかし「ディアスポラ」の初見殺しに引っ掛かり無事敗北。

そのあとは、名作を読んで勉強しようと海外SFの古典作品に手を出し、ティプトリー、ギブスン、オーウェル*8あたりにハマる。そして御三家を読み返したり、伊藤計劃の足跡を遡ったりしたのも16〜17年のころ。計劃の“読み”に習って、作品の弱さから作者の意図を探る読みを意識して行うようになった。御三家の上手さに気づいたのもこのあたり。そして計劃・円城から遡って、神林長平を読むようになる。

そして計劃に関する本を読み漁るうちに、京大SF研(京都大学SF・幻想文学研究会特殊検索群i分遣隊)の『伊藤計劃トリビュート』(2011)という本の存在を知り、大学SF研でここまでのことが出来るのかという衝撃を受ける。以後、この第4期京大SF研を超えることを目標に、東北大SF研でもSFの活動を行うことを決意した。(より厳密には、この企画の主催者である曽根卓と、寄稿者の中で明らかに別格だった伴名練を目標に、私と壁石とで活動をしていこうと決めた)

その後、私がリアルタイムで経験したSF的な事件は、16年以降の草野原々の台頭とVtuberの出現、17年のSFM掲載の「折りたたみ北京」からはじまる中国SFの到来、そして小川哲と伴名練の躍進になる。 これらの衝撃的なイベントに遭遇したこと、そしてSF研の後輩たちと出会ったことが、のちのVtuber、中国SFへの注力に繋がっていく。

 

以上が、私のSF遍歴になる。

私の特異なところとしては、小中学生時代で御三家の作品をあらかた読み切っていることと、いわゆるラノベ的な作品を一切読んだことがないことが挙げられる。

 

SF遍歴を受けて

ここからは、私が体感している世代間隔絶と、現状の私と目標について書いていこうと思う。

私の実感しているSF的な世代間隔絶

96年生まれということで、私は商業誌に原稿を売ったことのあるSFの読み手の中でダントツに若い。私に年齢が近い読み手を挙げていくと、まず一番近いのが冬木糸一(89年生れ)、伴名練(88年生れ)となるのだが、私個人としてはここで既にかなり隔絶しているような感覚がある。伴名練が言うように、90年前後の生まれの人は、伊藤計劃の活動を肌で、あるいは学生時代の自由の中で、下手をすると直接会ったことのあるレベルで感じていると思う。その一方、SF遍歴でも示したとおり、私は伊藤計劃をその死後に知ったので、同時代の人間だという感覚が非常に薄い。(さらに言えば、「虐殺器官」のきっかけになった9.11をよく知らないので、「虐殺器官」が現実の延長線上にある、という言説をいまいち理解出来ない。)

ここからさらに上の世代、橋本輝幸、鳴庭真人(ともに84年生れ)あたりになってくると流石に一回りも違うので、明らかに同世代という感覚はない。

たかが7、8年の差ではあるのだが、いま現在のSFを読む上では計劃の存在を無視出来ないわけで、計劃・円城の台頭をリアルタイムで知っているか知っていないかということが、読み手として非常に重要な差になると考えている。

私自身、身の回りに90〜95年生れくらいの人がおらず、体験談を聞きたくても聞けない状況にあるので、そのあたりの間隙となってしまった世代の体験談や、ある同じ作品に対する世代ごと受け取り方の差異などを知りたいな、と思う。要するに、90〜95年生れの読み手の文章を読みたい、ということに集約されるだろうか。

現状の私と目標

2020年3月に東北大学理学部物理学科を卒業、4月からは同大大学院理学研究科物理学専攻博士前期課程に進学し、引き続き高エネルギー物理学(素粒子物理学)を専攻する。専門は素粒子物理学加速器科学で、研究対象はILC(国際リニアコライダー)のシミュレーションや標準模型の検討になる見込み。(COVID-19の影響で、変更になる可能性もある)

私の読み手としての売りは、円城塔・草野原々・イーガンあたりの作家を物理学の知識に基づきある程度まで精査して論じられること、中国語・英語をある程度読めてかつSFについてもある程度きちんと読んでいること、そして御三家はじめ古いSFの感覚をもちつつも若いこと。私がもつこれらの売りを踏まえて、出来ることをひとつずつやっていこうと思う。

私が目標とする読み手は、山岸真筒井康隆伊藤計劃の三人。学部生時代にこの三人の書評や解説を読んで、読み手という立場を意識するようになった。山岸真からは、膨大なSFの知識に裏打ちされた緻密で誠実な読みという点で影響を受けた。自分の好きなように作品を読むことは容易だが、作者の意図に沿って的確に読むことは非常に難しい。批評や評論のような創造的な読みとは異なる、作品や作家に対して徹底的に誠実な読みに憧れた。筒井康隆からは、作品の面白さを要所を抑えて端的に表現する読みという点で影響を受けた。『本の森の狩人』『短篇小説講義』『読書の極意と掟』など、限られた字数の中で小説を紹介するだけでなく、読者に楽しみ方の指南までこなしてしまう圧倒的な技量に魅了され、また憧れた。伊藤計劃からは、その作品と映画評を通じて、作品の欠点や弱点のように読み取れる箇所から作者の意図を遡るような慎重な読みという点で影響を受けた。「虐殺器官」「ハーモニー」に仕込まれた嘘に綺麗にひっかけられ、その語りの技巧に魅了されるとともに、二度とそのような仕掛けに引っかからないように、きちんと読み取ることが出来るような慎重な読みを自分に課すようになった。

同世代の人間では、京大SF研の鯨井久志と、京大推理研の鷲羽巧を意識している。鯨井久志に対しては、私がカバー出来ていないラテンアメリカ文学などの主流文学の知見と企画力*9*10に関して、鷲羽巧に対しては、読んだ作品を短い分量で過不足なく的確にまとめる技量に関して*11、これらは私の持たないものである。

彼らに対して、私は私しか持たないもので勝負しようと思う。すなわち、物理学を軸とした理学的知識、中国語、そして深く読み込み書き尽くすこと。

自分にしかない武器でもって出来ることをひとつずつやっていって、SFの発展に少しでも貢献出来れば、それでいい。

*1:同じ長岡出身のSF関係者には、星新一の祖父小金井良精や山岸真がいる。神林長平新潟市出身で長岡高専卒。

*2:父は69年生まれで、筒井をよく読んでいたのは80年代半ば。当時としても結構若い読者にあたるはず。

*3:高校卒業後、新カバーのカッコよさに惹かれて再挑戦することになる。

*4:学校では『王様ゲーム』や『バカテス』『インデックス』が流行っていた。女子は『恋空』とかのケータイ小説、あるいは『ハリポタ』。『ハルヒ』は完全に世代がずれていて、オタっぽい兄をもつやつだけが兄から借りて読む、みたいな感じだった。

*5:山岸真の母校でもある。

*6:厳密には、「ハーモニー」を最初読もうとして前作があるのに気づき、とりあえず前作から読もうと「虐殺器官」だけを買った。

*7:本当は東大に行きたかったのだが、理数科の優秀な同級生たち(のちに東大・京大に進学)との差を自覚したり、当時明らかに勉強不足だったりしたこともあって、東北大に志望を下げた。

*8:ギブスン、オーウェルは計劃作品からの遡及。計劃が「ニューロ」解説文を参考にサイバーパンクを読んでいたと知り、余計に意識するようになる。

*9:『カモガワGブックス vol.1 《非英米文学特集》』には、これほどのものをたった500円で手に入れてしまっていいのかという罪悪感さえ覚えた。あれほどの質と量を誇る企画をきちんとやりきった手腕、私にも欲しかった。

*10:ほかにも、書評や読書会のレジュメに見える綿密さもかなり意識している。私自身が綿密で冷静な書評・レジュメを心掛けているので、同じ方向性であるという点で意識せざるをえない。

*11:これだけの量を読んでいるのがまずすごいし、その量の作品をすべて短評として捌ききっているのもすごい。思いついたことを書き尽くしてしまう私にはとても真似が出来ない所業。