SF游歩道

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未訳SF紹介Ⅰ『Binti』(Nnedi Okorafor)

書籍情報

作者:Nnedi Okorafor

出版社:Tor.com Book

形態:Novella(中長篇小説)

Binti

Binti

 

あらすじ

主人公ビンティ(Binti)はヒンバ族(Himba)初の銀河一の名門大学ウウムザ大学(Oomza Uni)への進学者。ビンティは生まれて初めて家族から離れ、故郷を出て、銀河の中心部にある大学へと向かう。

道中、ビンティはヒンバ族の伝統である長く編み込んだ髪や体に塗った赤土に対する、様々な偏見や無理解、差別を経験する。しかし、ビンティは持ち前の機転である時はいなし、ある時はちょっとやり返し、ついに大学行きの宇宙船へと乗りこむ。

宇宙船の中では友人が大勢出来たが、クラゲのような体をした敵対種族メデュース(Meduse)の襲撃によって、ビンティと宇宙船のパイロットをのぞくすべての人たちが殺されてしまった。

間一髪自室に逃げ込むことが出来たビンティは、そこでメデュースのひとり、オクゥ(Okwu)と自室の扉越しに対話を重ねる。メデュースがビンティを殺さなかったのは、ビンティの異質さに興味を持っていたからだった。

他人とは大きく異なるヒンバ族の文化についてオクゥに話すことで、ビンティはメデュースの長との交渉の機会を得るが……。

 

作者紹介

ナディ・オコアラフォー*1は、アフリカに基づいたSFやファンタジーマジックリアリズムを書き、子供から大人まで幅広い世代に読まれている作家であり、また世界各国の賞を受賞している。

両親はナイジェリアからの移民で、アメリカ生まれのナイジェリア系アメリカ人の二世にあたる。英文学に関する博士号を所持しており、現在はバッファロー大学の准教授として文芸創作を教えている。

(以上、オコアラフォーの公式サイトの紹介分より)

 

作品紹介

この作品は2015年にTor.comから出版され、2016年のヒューゴー賞中長編部門、2015年のネビュラ賞中長編部門のダブルクラウンを達成した。このほか、イギリスSF作家協会賞短編部門、ローカス賞中長編部門の最終候補にもなった。

本作『Binti』は「Binti」三部作の第一作であり、この三部作は続編『Binti 2: Home』(2017、Tor.com)、『Binti: The Night Masquerade』(2018、Tor.com)をもって完結している。

華やかな受賞歴が示すように、英語圏で人気を集めた作品であり、アーシュラ・K・ル=グィンがペーパーバック版の表紙に推薦文を寄せている。(以下に引用)

There's more vivid imagination in page of Nnedi Okorafor's work than in whole volumes of ordinary fantasy epics.

ナディ・オコアラフォーの作品には、ありふれた名作ファンタジーのどれよりも鮮やかな想像力がある。 (下村訳)

 先のあらすじにもあるように、この作品はオコアラフォーの得意とする、アフリカの文化を題材にとったSFだ。この物語の中で、ビンティは、自分の文化を理由とした差別や偏見に何度も遭遇し、そしてさらに異なる文化を持つメデュースと交流を行う。そして(詳しくは伏すが)自身の文化、すなわちヒンバ族の文化を失うことなく、むしろ拡張することで「より多くのもの」(more)になる。

この「より多くのもの」になる、異文化に触れることで「別の何か」ではなく「より多くのもの」になるという観念は、アフロフューチャリズムの核心のひとつであるとオコアラフォーは語る。(TED, "Sci-fi stories that imagine a future Africa" 3:12~)

従来のSFは科学技術や社会問題、地球や他の星々のことなどを中心に考察を深めてきた。SFは常に「もしこうだったら?」という問いかけを行い、それに対する回答として作品を世に送り出してきた。SFが最も効果的な表現形式となるのは、政治の分野であるという。(同、03:42~)

「もしこうだったら?」という問いかけを同じくしていても、すべてのSFが同じ祖先を持つわけではない。アシモフ、ヴェルヌ、ウェルズ、オーウェルハインラインと言った白人男性だけによってSFは描かれるのではない。そこで、オコアラフォーはナイジェリア系アメリカ人(女性)の自分がSFを書いたら、ということに興味を持ったという。(同、04:12~)

自分と異なるものに対する嫌悪感や疎外感を描いていたSFにはなじめなかったオコアラフォー。SFファン上がりの作家としてではなく、文学のもつひとつの手段としてSFの外からやってきたオコアラフォーのSFは、これまでのSFとはまた異なる世界を描いていくことだろう。

 

感想

 

面白かったが、少し物足りない。

中長篇部門受賞作では、他にヒューゴー賞ネビュラ賞同時受賞のキジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』、ネビュラ賞エリスン『少年と犬』、チャン『あなたの人生の物語』の計3作しか読んでいないので全体像がつかみきれていないのだが、「これだけ?」という感が拭えない。

ダブルクラウンの作品として一定水準の面白さは確保されているように思う。しかし、それだけでは物足りないのだ。私は、SFとして、SFの可能性をさらに拡張するような、そんな作品を渇望している。

オコアラフォー、あなたにとってSFとは政治的主張の手段でしかないのですか?政治的主張を伝えるためだけにしか、SFを書けないのですか?

それならば、あまりにもSFの可能性を狭めてしまっていると私は思う。

一方で、オコアラフォーの行っている思索、理論構築はまさしく私の思い描くSFのあるべき姿であり、(まだ『Binti』以外のオコアラフォーの作品を読んでいないので断言しづらいが)面白いSFが誕生する素地になっていると思う。それだけに、オコアラフォーが「SFが最も効果的に表現出来るのは政治的分野のこと」という主張に縛られていることが残念でならない。その主張を発展的に解消して、その先にある未知なるものを見せて欲しい。

 

 

物語の詳細な感想に移る。

序盤の差別を受けるシーンや、周囲の無理解的な言動の描写は読んでいて非常に心苦しくなるほどの迫力がある。自覚できる明確な差別をこれまでの人生で受けたことのない自分にとって、この小説は非常に衝撃的だった。文章の攻撃性、訴えかける力はダブルクラウンの名誉を裏切らない水準だ。

物語が大きく転換するメデュースによる虐殺はあまりに唐突で、その残虐性や凄惨さを強調することが出来ていた。(唐突すぎて、自分が英文を読み飛ばしていないかとか、間違って頁を飛ばしていないかとか、ひょっとして落丁とかではないか、英単語の意味を間違えていないかなど、何度も何度も検討してしまった)メデュースの恐怖をしっかり描けていたからこそ、のちに展開される物語に説得力が出て、慣れない原書であっても読み切ることが出来たのだと思う。読ませる力は、圧倒的だと確信している。

ただ、それだけ残虐を犯したのに、お咎めなしどころか……というのはいいかな? と感じてしまった。人類とメデュースの相互理解のためにはそれが理想的なのだが、ちょっと理想主義が過ぎるのではないかと感じてしまった。被害者の家族、友人など、被害者側の感情が一切描かれておらず、過度に小説的、ご都合主義的な欺瞞があるように感じられる。

一方で、物語の終盤でのビンティの「変容」は大変面白かった。オコアラフォーの言うアフロフューチャリズムは確かにこの小説で実践されていたし、一定の成功を収めたと思う。アフリカ文化(ヒンバ族の文化)も物語に上手く組み込まれており、完成されていた。「Binti」シリーズの続編2作も、なるべく早めに読もうと思う。

*1:カタカナ表記は古澤嘉通さんのツイッターでのコメントを参考にしています。カタカナ表記はまだ邦訳がなく定まっていないので、参考までに