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日本SFの先駆け、時代の香り漂う傑作選━━「火葬国風景」(海野十三、創元推理文庫)

書籍情報

作者:海野十三

編者:日下三蔵

出版社:東京創元社創元推理文庫

形態:短篇小説集

火葬国風景 (創元推理文庫)

火葬国風景 (創元推理文庫)

 

収録作品

『電気風呂の怪死事件』

『階段』

『恐ろしき通夜』

『蝿』

『顔』

『不思議なる空間断層』

『火葬国風景』

『十八時の音楽浴』

『盲光線事件』

『生きている腸』

『三人の双生児』

『「三人の双生児」の故郷に帰る』

感想

日本SFの先駆けとなった作家、海野十三の傑作短篇集。傑作短篇集という通り、非常に面白く読むことが出来た。これらの作品が全て戦前に書かれたものだというのが驚き。物語の端々に時代を感じるが、それでも元々の文体や話の面白さ自体は今でも問題なく通用する部類のものだと思う。特に文体に関しては、時代を全く感じさせない非常に読みやすいものだったので本当に驚いた。自分でも何かものを書くときは参考にしたい。話が少し脱線するが、戦前の文章がこの平成の世でも通用するということは、日本の現代文のもとを築いた夏目漱石がいかに偉大であったかをいうことを示していると思う。

以下、収録順に感想を述べる。

まず初めに『電気風呂の怪死事件』であるが、これはSFではなく完全に推理ものだろう。自分自身があまり銭湯などに行ったことがないので分からないのだが、電気風呂が昭和3年、すなわち1928年時点で既に存在していたというのが面白かった。でも考えてみると、「電気~」とつくものは大正時代の流行みたいなものなので、昭和初期にあったとしても不思議ではないのかもしれない。(文学作品によく登場する「電気ブラン」もその流行にのって名付けられたもの。文化包丁、文化住宅の「文化~」や近年の「サイバー~」のようなもの)ただ、トリック自体は大分ガバガバな気がする。ミステリファンとしては何か言いたいものがあるのだろうが、私個人としては非常に楽しめたので良かった。あと地味に海野十三自身の性癖が透けて見えている気がする。

 

『階段』もミステリ仕立ての作品。作中でマイクロフォン(顕微音器)なるガジェットが出てきたのが面白かった。これが科学探偵小説と言われることの理由かと、日本SFの源流に触れた感があり非常に楽しかった。現代からすると全く普通の話だが、発表当時はこれが最先端の科学(もしくはまだ実現していない科学技術)だったのかと、色々と感慨深いものがあった。あとこの作品にも海野自身の性癖が見え隠れする。結構趣向を仕込むひとだったんだな、と思ってにやりとした。

 

『恐ろしき通夜』は三人の夜話で陰湿な物語が徐々に描き出されていく連作形式の短篇。予想は十分ついてしまったが、それでも話を読ませる、引き込ませる筆力はすごい。通夜話として二重の意味がかかっているのも面白い。戦前というと、なかなかタブーや検閲の力の大きかった時代で、それでもこのような倫理に背くような話が発表されたというのは重要なことだと思う。単純に陰惨で面白かったのもあるし、もっと多くの人に読んでもらいたい作家だと感じた。

 

『蝿』は連作ショート・ショート集という形の短篇。全て蝿が物語上重要な位置を占める作品群になっている。これらの作品もやはり海野の趣味が炸裂した感じの作品で、時代性も含めて面白い。特に放射線宇宙線)を扱った『宇宙線』なんか、当時の科学の最先端だったんだろうなと面白がって読んだ。放射線が人体に与える影響が統計的に示されたのが広島・長崎の被爆者やその後のアメリカの核実験によるものであるし、そもそも遺伝子を司るDNAがワトソンとクリックによって発見されたのも戦後の話である。それらの知識がない戦前の時点で、放射線の恐ろしさを物語に組み込んだ海野十三のSF的想像力は素晴らしいと言う他ないだろう。

 

『顔』もまた連作ショート・ショート集という形の短篇。個人的に印象に残ったのは四作目の『長夜の秘密』。戦争で顔が崩れた主人の登場するショート・ショートだが、従軍した人に一回もあったことのない身としては、その異様さを知らない分想像が非常にはかどった作品。一応『映像の世紀』などで第一次大戦で顔が崩れた西洋人の場合をいくつか見たことはあるのだが。こうして作中に戦争や軍人が普通に登場するのが自分には目新しかった。純文学作品や大衆文学作品ならいくらでも読んだことはあるが、国内SFだと小松の『召集令状』や『くだんのはは』『地には平和を』の戦争ものくらいしか読んだことがなかったので新鮮に感じられた。

 

『不思議なる空間断層』は多重的な物語。結局この話は何なんだろう、というのが率直なところ。甲賀三郎をひっかけた叙述のトリックとはなんだったんだろう。何回か読み返して、なんとかそのところをはっきりとさせたいところ。個人的には、夢と現実とが入り乱れたディック感覚を引き起こす作品だな、と感じた。誰もが想像する恐怖を描いていて楽しめた。そういえば、筒井や星もこのような作品を書いていたな、と思い出した。やはり日本SF御三家は海野十三に影響を受けていたのだろうか。それとも、各人の想像力が独自に同じ境地に達したのだろうか。それぞれ三人ともアプローチは全く異なるので、読み比べてそれぞれの特徴を楽しむのもいいかもしれない。

 

表題作『火葬国風景』はどことなくミステリで、どことなくSFな作品。一応趣味でSF小説を書いている身としては、最後のくだりがなんとも印象に残る。怪奇的・幻想的な描写に富み、のちのSFやミステリ、ファンタジー幻想文学、奇想文学などのジャンル小説の先駆けと言っていい作品だと思う。幻想的光景から一転して、燃え盛る棺の中に自分を見出すシーンは特によかった。時代を経てもなお輝くその筆力と想像力は本物である。まあ話の仕掛け自体は時代とともに色褪せてしまうのは仕方がないことだと思う。

 

『十八時の音楽浴』はディストピアものとして聞いたことがあったので、前々から読んでみたかった作品。随分古びてはいるけど、それでもディストピアものとしては非常に面白かったし、むしろ古くなりきっているからこそ、安心して読めたという側面はある。やはりディストピアものにロボットやアンドロイドが登場するのはフリッツ・ラングの古典SF映画の名作『メトロポリス』以来の伝統なのだろうか。それにしても、この作品でもちょっぴりエロチックな成分というか、海野の趣味が炸裂しているような気がする。それも含めて面白かったのではあるが。

 

『盲光線事件』はサスペンスチックな作品。そういえば、当時はカメラも最先端技術の象徴だったのかもしれないと思うと、十分SFになるのかなと思った。単純にこの短篇集で一番面白かった作品でもある。タイトルまんまだけど。第一次大戦と第二次大戦の間の、いわゆる戦間期の緊張感も上手く反映しているのではないかと思う。海野自身は強固な右翼思想の持ち主で、この作品集自体にもほんのりとそんな雰囲気が漂っているが、それでもって作品の価値を貶めるようなことを言うのはフェアではないだろう。戦前の誰もが普通に抱いていただろう自国への自信と誇りを反映した、いわば時代を反映した作品として、現代でも十分評価される作家と作品であると思う。本当に頭の先から右翼思想に凝り固まっていたら、上述の『十八時の音楽浴』のようなディストピアものなんか書けないだろうし。

 

『生きている腸』もタイトルまんまの作品。生きている腸の描写が何ともかわいらしく、インモラルな魅力にあふれた作品。読み返すたびにかわいらしく思えてしまうのは、海野の筆力と想像力の成すところなんだろうなと思う。それに関して言えば、何となく筒井康隆の作風にも近い部分はあるなと思う。

 

『三人の双生児』もなかなか楽しめた。このタイトルが何を意味するのか、自分は結構予想がすんなり通ってしまったのだが、話の展開自体は非常に楽しめた。当時の雰囲気や見世物小屋を取り巻く環境については全く知らなかったので、むしろSF的な全く知らない世界を除いているような感覚で非常に面白かった。これもDNAについて全く解明されていない時代のものであるし、海野のSF的想像力が十二分に発揮された作品と言えるのではないか。あと戦前の民法では姦通罪はいかなる理由があっても女が重罪になるのではなかっただろうか。創作の中とはいえ、検閲が厳しかった戦前によくこれを発表出来たものだと思う。

 

最後はエッセイの『「三人の双生児」の故郷に帰る』。解像度が悪いというか、ほとんど何も判別のつかない写真付きのエッセイで、文章からなんとなく海野の故郷・徳島の情景が浮かび上がってくる。こういう故郷に帰るというか、故郷を思い返している文章がなんとも言えなく好きなので、面白く読めた。「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(紀貫之古今集

 

 

日下三蔵編ということで、最後の解説は非常に充実している。青空文庫で無料で読めるにも関わらず、わざわざこの本を購入したのはこの濃厚な解説を手に入れるのが目的だったからだ。ただ、残念ながら日下三蔵の手による海野十三作品集の一冊目にあたる「獏鸚(ばくおう)」をまだ入手していないので、解説の後半部分にあたる没後の評価の変遷についてしか分からなかったので残念。ぜひ「獏鸚」も手に入れて補完したい。(「獏鸚」解説では、解説の前半部分にあたる経歴と業績が解説されている)