SF游歩道

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自分の立ち位置を見失う快感━━「トータル・リコール」(フィリップ・K・ディック、ハヤカワ文庫SF)

書誌情報

作者:フィリップ・K・ディック

訳者:深町眞理子浅倉久志大森望

編者:大森望

出版社:早川書房(ハヤカワ文庫SF)

形態:短編小説集

収録作品

トータル・リコール』(旧題『追憶売ります』)

『出口はどこかへの入り口』

地球防衛軍

『訪問者』

『世界をわが手に』

『ミスター・スペースシップ』

『非O』

『フード・メーカー』

『吊るされたよそ者』

マイノリティ・リポート』(旧題『少数報告』)

感想

表題作である『トータル・リコール』と『マイノリティ・リポート』は有名な作品だけあって、収録作では随一の出来。

以下収録順に感想を述べる。

表題作『トータル・リコール』は、90年と12年にそれぞれ映画化されたディックの短編の代表作ともいえる作品。「暗殺者として火星に赴いた」という嘘の記憶を埋め込んでもらったら、消去されていた本当の記憶を呼び覚ますことになった。その本当の記憶を消去するため、抑圧された欲望を埋め込んだら、その欲望は過去の事実を消去した名残りだった。「記憶」と「現実」を使った、現実が二転三転する悪夢的な話の転換が正にディックらしい名作。スれた人だと話のオチまで予想がついてしまうかもしれないが、予想がついても自分の信じている「現実」に不安を抱かせてしまうのがこの作品のすごいところ。あなたの信じている「現実」は、本当にその通りですか。

 

『出口はどこかへの入り口』は、わりとありがちであろう「運よく懸賞に当たって特別な存在になった」というアイデアをディックが料理した結果といった感じの作品。現実が急に<大学>によって捻じ曲げられ、その捻じ曲げられた現実もまた、<大学>によって元に戻される。信頼した人間が実は全ての黒幕だった、というこれまた悪夢的な作品で、個人的に自分が裏切りをひどく怖がる人間なので、自分がいる「現実」に対しても底知れない恐ろしさを感じた。

 

地球防衛軍』は近年流行りのAIものとしても読める作品。核戦争によって失われかけた地表の環境を守るために、地表の戦争用ロボットたちは地下の人間に「戦争は継続しており、地表は放射能汚染がひどい」と嘘をついていた。冷戦の時期に書かれた作品ではあるが、この作品に描かれた対立と核の脅威は今の時代も同じである。それだけに、いささか理想主義的ではあるが、ラストの「いっしょに働く人間には外交はいらない。会議室のテーブルではなく、仕事の現場で問題を解決していくからだ」という米露和平の成立が心に残る。

 

『訪問者』も核戦争後の世界を描いた作品。核戦争後の重度の放射能汚染に対応した人類や動植物が地上に生き残り、元々の人類は地下暮らしを余儀なくされている。この作品も、ラストのやりとりが印象深い。放射線に対応できなかった人類は、もはや「訪問者」としてしか地球に関われなくなってしまうのだった。個人的には、『アフターマン』や『マンアフターマン』のような世界観が気に入っているので、是非映像作品として観てみたい。

 

『世界をわが手に』は非常にはかなく、きれいな作品。ディック作品にあるまじき繊細さをもった「世界球」が印象的で、テラリウムが大好きな私にはジャストミートな作品。テラリウムよりもはるかに大規模で、はるかに繊細な「世界球」。ただ眺めるだけでもずっと見ていられるだろうし、それを壊すなんてもう一種のエロスさえ感じてしまう。この作品、本当にディックが書いたのかと疑いたくなるほど、途中まで全くディック感覚が発生しない。しかし、最後の最後に梯子が外されたかのように急にディック感覚が襲ってくる。前半部分の異質なまでの繊細さが、世界の崩壊の予感を彩る傑作。この作品集の中で一番おすすめの作品。

 

『ミスター・スペースシップ』は陳腐な香りがする上に、なんかディックっぽくない作品。しかし、ラストが妙にハッピーエンド的で不思議な存在感を放つ作品。完成度は高くないが、ディックの作品には珍しい爽やかなエンドなのでこれはこれでアリかもしれない。

 

『非O』はA・E・ヴァン・ヴォークトの名作『非Aの世界』『非Aの傀儡』のパロディ的作品らしい。(元を読んだことがないので分からない)徹底的な合理主義ミュータントたちと一般大衆の乖離の異質さを描いた作品。作品そのものの徹底ぶりも面白いが、現実の科学者の「非O」的ふるまいを思い浮かべるとさらに面白い。好きなもののことなら、割と誰でも「非O」になると思う。自分たちにもそんな異質な部分があると気付かせて、不安にさせるというこれもやはりディック的な作品。

 

『フード・メーカー』は思考を読み取ることが出来るミュータントを題材としたサスペンス作品。自分たちは人類の進化系たるミュータントだと思っていたティープたちだったが、実はミュータントではなく、一代限りの畸形だった。「思考盗聴」という題材にもディック的な異常感があるし、オチもきれいにまとまっていて面白い。

 

『吊るされたよそ者』は「自分が席を外している間に自分以外の全員が洗脳されている」というネタの古典的作品。自分自身も、国内のジュヴナイルSFで何度も同じ題材の作品を読んだ覚えがある。最後と最初がきれいに結びつき、円環構造を成しているのがこの作品の秀逸なところ。このようにして、いずれ全人類が侵略されてしまうのだろう。「現実」が一瞬で崩れ去って、誰を信頼すればいいのか分からないという悪夢的な構造はまさにディック的。60年以上前に発表されたとは思えない、新鮮さ溢れる傑作である。

 

マイノリティ・リポート』は02年にスティーヴン・スピルバーグによって映画化されたSFサスペンスの名作。犯罪を予知し、事前に取り締まるという点ではアニメ『PSYCHO-PASS』につながる。犯罪を事前に取り締まる犯罪予防局長官である主人公が、近い将来に殺人を犯すということでお尋ね者となる。この予知が間違っているとして奔走する中、様々な思惑の下、複数の組織が主人公に接近する。決して余地を外さない予言者たちが、なぜ互いに矛盾する記述を残したのか。それは予知結果の観測による犯罪意思の変化も含めた予知だったからであった。

予知の観測結果が未来に影響を及ぼすというのは、近年の科学で検討されている、「観測」が結果に影響を及ぼすのではないかという疑問に通ずる。単純なサスペンスとしても、「観測」に関するSFとしても読めるまぎれもない名作。この作品も、「現実」がひっくり返ったり、誰を信じていいのか分からないディック的な展開がこれでもかと詰め込まれている。

 

 

これまで感想を書いてきたが、この短篇集を通じて、ディックの「現実に対する不安感」が存分に楽しめたと思う。執拗に「ディック的」「悪夢的」という言葉を使ってきたが、ディックの作品を語る上ではこれら2つの言葉は欠かせない。病的なまでに現実に対して不安感をあらわにする作家はディックをおいてほかにいない。読者も漠然と抱いているだろうこの不安感を下敷きにして物語が展開していくとき、読者はディックの悪夢的な世界観に取り込まれている。ディックの世界観を十通りで楽しめるこの短篇集はまさに傑作選の名に値する。

細かいことだが、個人的には、『トータル・リコール』『マイノリティ・リポート』は旧題の『追憶売ります』『少数報告』の方が好き。あとこのハヤカワのディックの表紙は大好きです。