SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

未訳SF紹介Ⅰ『Binti』(Nnedi Okorafor)

書籍情報

作者:Nnedi Okorafor

出版社:Tor.com Book

形態:Novella(中長篇小説)

Binti

Binti

 

あらすじ

主人公ビンティ(Binti)はヒンバ族(Himba)初の銀河一の名門大学ウウムザ大学(Oomza Uni)への進学者。ビンティは生まれて初めて家族から離れ、故郷を出て、銀河の中心部にある大学へと向かう。

道中、ビンティはヒンバ族の伝統である長く編み込んだ髪や体に塗った赤土に対する、様々な偏見や無理解、差別を経験する。しかし、ビンティは持ち前の機転である時はいなし、ある時はちょっとやり返し、ついに大学行きの宇宙船へと乗りこむ。

宇宙船の中では友人が大勢出来たが、クラゲのような体をした敵対種族メデュース(Meduse)の襲撃によって、ビンティと宇宙船のパイロットをのぞくすべての人たちが殺されてしまった。

間一髪自室に逃げ込むことが出来たビンティは、そこでメデュースのひとり、オクゥ(Okwu)と自室の扉越しに対話を重ねる。メデュースがビンティを殺さなかったのは、ビンティの異質さに興味を持っていたからだった。

他人とは大きく異なるヒンバ族の文化についてオクゥに話すことで、ビンティはメデュースの長との交渉の機会を得るが……。

 

作者紹介

ナディ・オコアラフォー*1は、アフリカに基づいたSFやファンタジーマジックリアリズムを書き、子供から大人まで幅広い世代に読まれている作家であり、また世界各国の賞を受賞している。

両親はナイジェリアからの移民で、アメリカ生まれのナイジェリア系アメリカ人の二世にあたる。英文学に関する博士号を所持しており、現在はバッファロー大学の准教授として文芸創作を教えている。

(以上、オコアラフォーの公式サイトの紹介文より)

 

作品紹介

この作品は2015年にTor.comから出版され、2016年のヒューゴー賞中長編部門、2015年のネビュラ賞中長編部門のダブルクラウンを達成した。このほか、イギリスSF作家協会賞短編部門、ローカス賞中長編部門の最終候補にもなった。

本作『Binti』は「Binti」三部作の第一作であり、この三部作は続編『Binti 2: Home』(2017、Tor.com)、『Binti: The Night Masquerade』(2018、Tor.com)をもって完結している。

華やかな受賞歴が示すように、英語圏で人気を集めた作品であり、アーシュラ・K・ル=グィンがペーパーバック版の表紙に推薦文を寄せている。(以下に引用)

There's more vivid imagination in page of Nnedi Okorafor's work than in whole volumes of ordinary fantasy epics.

ナディ・オコアラフォーの作品には、ありふれた名作ファンタジーのどれよりも鮮やかな想像力がある。 (下村訳)

 先のあらすじにもあるように、この作品はオコアラフォーの得意とする、アフリカの文化を題材にとったSFだ。この物語の中で、ビンティは、自分の文化を理由とした差別や偏見に何度も遭遇し、そしてさらに異なる文化を持つメデュースと交流を行う。そして(詳しくは伏すが)自身の文化、すなわちヒンバ族の文化を失うことなく、むしろ拡張することで「より多くのもの」(more)になる。

この「より多くのもの」になる、異文化に触れることで「別の何か」ではなく「より多くのもの」になるという観念は、アフロフューチャリズムの核心のひとつであるとオコアラフォーは語る。(TED, "Sci-fi stories that imagine a future Africa" 3:12~)

従来のSFは科学技術や社会問題、地球や他の星々のことなどを中心に考察を深めてきた。SFは常に「もしこうだったら?」という問いかけを行い、それに対する回答として作品を世に送り出してきた。SFが最も効果的な表現形式となるのは、政治の分野であるという。(同、03:42~)

「もしこうだったら?」という問いかけを同じくしていても、すべてのSFが同じ祖先を持つわけではない。アシモフ、ヴェルヌ、ウェルズ、オーウェルハインラインと言った白人男性だけによってSFは描かれるのではない。そこで、オコアラフォーはナイジェリア系アメリカ人(女性)の自分がSFを書いたら、ということに興味を持ったという。(同、04:12~)

自分と異なるものに対する嫌悪感や疎外感を描いていたSFにはなじめなかったオコアラフォー。SFファン上がりの作家としてではなく、文学のもつひとつの手段としてSFの外からやってきたオコアラフォーのSFは、これまでのSFとはまた異なる世界を描いていくことだろう。

 

感想

面白かったが、少し物足りない。

中長篇部門受賞作では、他にヒューゴー賞ネビュラ賞同時受賞のキジ・ジョンスン『霧に橋を架ける』、ネビュラ賞エリスン『少年と犬』、チャン『あなたの人生の物語』の計3作しか読んでいないので全体像がつかみきれていないのだが、「これだけ?」という感が拭えない。

ダブルクラウンの作品として一定水準の面白さは確保されているように思う。しかし、それだけでは物足りないのだ。私は、SFとして、SFの可能性をさらに拡張するような、そんな作品を渇望している。

オコアラフォー、あなたにとってSFとは政治的主張の手段でしかないのですか?政治的主張を伝えるためだけにしか、SFを書けないのですか?

それならば、あまりにもSFの可能性を狭めてしまっていると私は思う。

一方で、オコアラフォーの行っている思索、理論構築はまさしく私の思い描くSFのあるべき姿であり、(まだ『Binti』以外のオコアラフォーの作品を読んでいないので断言しづらいが)面白いSFが誕生する素地になっていると思う。それだけに、オコアラフォーが「SFが最も効果的に表現出来るのは政治的分野のこと」という主張に縛られていることが残念でならない。その主張を発展的に解消して、その先にある未知なるものを見せて欲しい。

 

 

物語の詳細な感想に移る。

序盤の差別を受けるシーンや、周囲の無理解的な言動の描写は読んでいて非常に心苦しくなるほどの迫力がある。自覚できる明確な差別をこれまでの人生で受けたことのない自分にとって、この小説は非常に衝撃的だった。文章の攻撃性、訴えかける力はダブルクラウンの名誉を裏切らない水準だ。

物語が大きく転換するメデュースによる虐殺はあまりに唐突で、その残虐性や凄惨さを強調することが出来ていた。(唐突すぎて、自分が英文を読み飛ばしていないかとか、間違って頁を飛ばしていないかとか、ひょっとして落丁とかではないか、英単語の意味を間違えていないかなど、何度も何度も検討してしまった)メデュースの恐怖をしっかり描けていたからこそ、のちに展開される物語に説得力が出て、慣れない原書であっても読み切ることが出来たのだと思う。読ませる力は、圧倒的だと確信している。

ただ、それだけ残虐を犯したのに、お咎めなしどころか……というのはいいかな? と感じてしまった。人類とメデュースの相互理解のためにはそれが理想的なのだが、ちょっと理想主義が過ぎるのではないかと感じてしまった。被害者の家族、友人など、被害者側の感情が一切描かれておらず、過度に小説的、ご都合主義的な欺瞞があるように感じられる。

一方で、物語の終盤でのビンティの「変容」は大変面白かった。オコアラフォーの言うアフロフューチャリズムは確かにこの小説で実践されていたし、一定の成功を収めたと思う。アフリカ文化(ヒンバ族の文化)も物語に上手く組み込まれており、完成されていた。「Binti」シリーズの続編2作も、なるべく早めに読もうと思う。

*1:カタカナ表記は古澤嘉通さんのツイッターでのコメントを参考にしています。カタカナ表記はまだ邦訳がなく定まっていないので、参考までに

SFが読みたいという初心者に薦めるための作品リスト

前回紹介した「SFが読みたいという初心者に薦めるための星新一作品3ステップ」を適切に行えば、かなりの確率でSFに対して興味をもってもらえることだろう。

しかし、せっかく興味をもってもらえても、次に薦めるSFが円城塔や酉島伝法であったら、これまたげっそりさせてしまうことだろう。

そこで、「星新一作品3ステップ」の次に薦めるSFを私の実体験に基づきリストアップしたので、ぜひ参考にしていただけるとありがたい。

あくまでこのリストは「SF初心者にSFファンが作品を薦めるための参考作リスト」なので、悪しからず。

続きを読む

SFが読みたいという初心者に薦めるための星新一作品3ステップ

SFが読みたいという初心者に、適切に作品を紹介するのは中々難しい。

そこで本が嫌いな人でも読める星新一の作品を使って、適切に各種SF作品への道筋をつける方法を考案したので、ぜひ参考にしていただきたい。

今回紹介する方法は、タイトルにもあった通り、星新一作品6作を3ステップに分けて読んでもらうことを通じて、抵抗なくSFの本質的な面白さ(センス・オブ・ワンダー)に触れてもらうことを目的とした方法だ。

私は今年の東北大SF・推理研を見学しにやってきた人のうち、ほぼ全員にこれをしかけ、例年の約2倍の人たちに入部してもらった。(半ばテロ的ではあったが、元々このサークルに多少なりとも興味があってやってきた人たちであるし、結果的に効果を実証出来たので問題ないということにしておく)

この手法はSF界のみならず、読書界全体にとって有益だと思うので、この場でやり方を紹介することを通じてより多くの人たちに知っていただきたいと考えている。

各ステップで紹介している作品は厳格に読んでもらう順番があるわけではないのだが、一応左から順に読んでもらうと効果的だと思う。

続きを読む

中国SF研究Ⅰ「『科幻世界』巻末の翻訳SFに関する調査」

中国の有名SF月刊誌「科幻世界」の巻末には、同社の販売するSF単行本の通販カタログが2頁分掲載されている。

国内(中国)SFを先頭に、日本、アメリカ、カナダなどの国外翻訳SFが一覧形式で掲載されているため、この頁に登場する作家・作品を確認すれば中国国内で人気のある作品や、「科幻世界」が強く売り込みたいと考えている作家・作品を知ることが出来る。

今回は「科幻世界」2017年9月号の巻末カタログを題材に、掲載されていた作家・作品・価格を出来る限り翻訳・紹介する。(1元=約16円)なお、このリストは基本的に長編作品のみで構成されるため、短篇集などは傑作選を除いてほとんど登場しない。

あくまで今回取り上げる作品・作家は雑誌の限られた紙面で紹介されているものであり、ここにある作品・作家が中国における翻訳SFのすべてではないことに注意してほしい。

続きを読む

神保町SF古書店紹介

世界最大の古本屋街、神田神保町。本好きにとっての憧れではあるものの、すこし寄り付き難い街。

SFに興味はあるけど神保町の古書店に行くには抵抗感がある、そんなひとでも安心して古書店巡りを楽しめるように、神保町でSFを取り扱う主な古書店を紹介する。(若干自分自身の備忘録代わりという面もある)

続きを読む

2018年上半期の読書整理記

今週のお題「2018年上半期」

今年も早半年が過ぎてしまった。そこでこの上半期で読んだ本を整理し、下半期へと繋げていこうと思う。

上半期のベスト10

1.『万物理論』(グレッグ・イーガン山岸真、創元SF文庫)

上半期でダントツ。これぞSFといった感じで、長篇数本分のアイデアが贅沢に投入されていることもあって、もうこの作品だけあればいいんじゃないかと思ってしまうぐらいの大傑作。色々としっかり理解するのに丸一月かかったが、その分隅々まで楽しんだ。 

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

 
続きを読む

難解で知られる芥川賞受賞作家の、割と分かりやすい作品集━━「バナナ剝きには最適の日々」(円城塔、ハヤカワ文庫JA)

書籍情報

作者:円城塔

出版社:早川書房ハヤカワ文庫JA

形態:短篇小説集

収録作品

『パラダイス行』

『バナナ剝きには最適の日々』

『祖母の記憶』

『AUTOMATICA』

『equal』

『捧ぐ緑』

『Jail Over』

『墓石に、と彼女は言う』

『エデン逆行』

コルタサル・パス』

感想と(若干の)解説

「難解で知られる芥川賞作家の、比較的わかりやすい短篇集」とある通り、理解しやすい作品も収録されている短篇集。伊藤計劃は読んだけど、円城塔はまだ読んでいないという方はこの本から円城塔作品へと踏み出すのがおすすめ。これ以外では、「これはペンです」(新潮文庫)と『Self-Reference ENGINE』(ハヤカワ文庫JA)が初心者向け(?)だと思う。

私が東北大SF研に入った理由のうち、円城塔が東北大SF研出身だったということがかなりの割合を占めており、円城塔作品には非常に強い思い入れがある。こんなにも面白い作家が世間であまり読まれていないのは勿体ないことこの上ないので、その面白さを少しでも多くの人に知ってもらうことを目的に今回この記事を作成した。

この記事ではなるべく分かりやすい解説になるようこころがけたので、一度読んでみてよく分からなかったという人にも安心していただきたい。(まあそもそも「分からなかった」というのは円城塔にとっては誉め言葉のようなものなのだが)

以下、収録順に感想を述べる。

続きを読む

『なろう批判を批判する!』への批判試論

小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿された『なろう批判を批判する!』という文章が話題を集めている。

『なろう批判を批判する!』風倉@こぴーらいたhttps://ncode.syosetu.com/n8479er/

小説家になろう」といえば、俗にいう「なろう小説」などのファンタジー風作品が常に人気ランキング上位を占めていることで有名だが、この『なろう批判を批判する!』はエッセイであるにも関わらず、日間ランキング一位、そして月間ランキング一位へと急上昇した。この現象は「小説家になろう」においては極めて異常な事態だと言える。

上記のアドレスは風倉@こぴーらいた氏が小説投稿サイト「小説家になろう」から追放されたためにリンクが切れてしまっている。同一人物と思われる、こぴーらいたー@風倉氏という人物が同じく小説投稿サイト「カクヨム」に同じ文章を投稿しているため、そちらのアドレスを掲載しなおす。

これがなろう勝利の理由! 〜昨今のネット小説新参にむけて古参が、なろうが勝者になった理由と歴史を書きなぐる話〜 (こぴーらいたー@風倉) - カクヨム

(2018年8月21日追記)

 

この文章が支持された理由は何なのだろうか。私は「なろう小説」を読んだことはほとんどない。人気があると評判の作品を数作流し読みした程度で、基本的には世間一般の人間と同じく、所詮「なろう小説」であり「小説」ではないとして無視する態度をとっていた。しかし、SFというジャンルでネット上や同人誌上で活動している者として、従来の「なろう批判」に対してどのように反論を組み立てるのか非常に興味を持ち、この文章を読んでみた。結果、私の「なろう小説」に対する態度を崩すものではなかった。

なるべく前掲の『なろう批判を批判する!』の原文を読んでいただいてから私による批判を読んでいただきたいのだが、原文が冗長かつ大変読みづらい文体な上に論理性に欠けているため、これから私が原文の重要な部分を抜粋して解説する。手短に済ませたい方は私の解説と批判だけで全体像をつかむことが出来ると思う。

 

『なろう批判を批判する!』内容解説

小説家になろう」成立以前、90年代のネット小説界隈の様子

まず、筆者は「小説家になろう」の歴史を語るために、遥か時代をさかのぼって90年代の『Kanon』という成人向けゲームから論を始めた。この『Kanon』という作品は俗にいうハーレムルートは存在せず、各ルートで一人の女の子しか攻略出来ない。しかし主人公である祐一に選ばれなかった各ヒロインは、必ず死亡や行方不明などバッドエンドに見舞われるのだという。この悲劇的で救いのないヒロイン全員を救済するために、二次創作小説にハーレム設定が盛んに導入された。もともとネット小説界隈ではハーレム展開は忌避されていたが、『Kanon』の登場で、不幸なヒロインたちを救済するための処置として正当化されたのだ。

いくらハーレム要素が二次創作小説界隈で人気になったと言っても、ハーレム、すなわち重婚は現代日本では違法であり、現代日本を舞台にした『Kanon』の世界に導入するには無理が生じる。この矛盾を打破する画期的な方法が、「原作改変」や「キャラ改変」、「主人公改変」だった。二次創作小説において原作設定と歪みが生じるならば、原作要素を都合が合うように改変すればよかった。しかしこれでもなかなか物語の歪みは解消されなかった。

95年に『新世紀エヴァンゲリオン』が発表されると、事態は変化する。この作品には綾波レイと惣流アスカ・ラングレーという魅力的なヒロインが登場し、物語自体は誰も救われない悲劇的なものだ。この作品の二次創作界隈は大いににぎわい、「スパシン(スーパーシンジ)」と呼ばれる改変主人公を物語に導入することで、悲劇的な物語の収拾を図る二次創作者が現れた。この改変において、『機動戦艦ナデシコ』の伝説的二次創作『時の流れに』で導入された「逆行もの」という手法がある。「逆行もの」とは、登場人物が記憶を保持したまま過去のある瞬間へと逆行する物語のことで、これが『エヴァ』の世界観と上手く合致した。このように、90年代のネット小説界隈は、元になった一次創作物の悲劇的な展開を改変するために、都合のつくように原作を一部改変して作られた二次創作物が主流だった。

 

二次創作小説における流行の変化と「なろう小説」テンプレートの完成

この時代の二次創作者らは、次第に自分を主人公キャラなどの登場人物と同一化し創作することがしばしばあった。この傾向から、メアリー・スーの登場、すなわち二次創作者の投影としての二次創作小説が登場したという。この傾向は段々と強くなり、元の作品の主人公ではなく、オリジナルの主人公を据えようという動きも高まったが、やはり原作の物語に突然別の主人公を何の脈絡もなく投入するのには無理があった。このころはまだ、シンジに作者が「憑依」するという形でオリジナル主人公が導入されていたのだった。

04年に『ゼロの使い魔』という作品が登場したことで、この問題は解決された。『ゼロ使』は中世ヨーロッパ・ファンタジー風の世界が舞台で、主人公サイトもまた招喚によって「異世界転生」してきた存在だ。すなわち、改変の自由が利く異世界を舞台とし、これまた改変の自由が利く存在を主人公とした作品であるということだ。この『ゼロ使』を原作とすることで、オリジナル主人公の導入や、作品世界の改変の自由化が進んだ。

また、このころ「転生」という手法にも革新が起こった。原作中の登場人物にそのまま転生するのではなく、赤ちゃんに「憑依」して転生するという方法だ。これによって、オリジナル主人公の導入のハードルは大きく下がった。完全なる作者の自己投影が簡単に行えるようになったのだ。

一方で、二次創作小説界隈が次第に大きなものとなってきて、新規層が流入してくると、「原作は知らないけどとりあえず二次創作を書いてみたい」という層が現れてくる。これは二次創作界隈特有の現象とも言えるだろう。このころ別々の原作のキャラやキャラの使用する能力を混ぜて二次創作を行う「クロスオーバー」が台頭してくる。先ほどの新規層は、「元ネタは調べたくないけどこのスキルは使いたい」ということで「神様転生」という手法を誕生させた。現在の「なろう小説」に多くみられる、神様に生き返らせてもらい、スキルを山ほど貰って転生するという物語の原型だ。

 

二次創作小説から一次創作小説への文化の伝播

ここに至って、ネット小説(まだ二次創作小説の段階)は「異世界」という舞台と「転生」という導入部、すなわち現在の「なろう小説」のテンプレートを獲得した。こののち、二次創作界隈の手法が一次創作界隈に吸収されるという形で現在の「なろう小説」が出来上がった。ここからは、現在の「小説家になろう」界隈の特徴の説明に移る。

まず「テンプレ作家量産文化」というものがあるという。これはこれまでに解説された通りかつての二次創作小説界隈から受け継いだ特徴で、特に深く元ネタを調べることもせず、先行作品の表層だけをなぞって作品の再生産を行うというものだ。この「テンプレ作家量産文化」の裏には「書きやすい原作」の存在があり、素人でも書きやすいので新規層の流入を生んだ。これによって全体層の厚みが増し、良質な作品の書き手を確率論的に増やした。

また、「小説家になろう」では、先行していた大手小説投稿サイト「Arcadia」とは異なり、コメントをブロック出来る機能があった。これによって、過剰に批判的または攻撃的なコメントによる創作者の心理的ダメージを軽減することが出来た。したがって「小説家になろう」は平和な運用がなされ、創作者の参入を生み、現在の小説投稿サイト最大手の地位を獲得するに至った。

 

 「小説家になろう」の特徴

以上から現在のネット小説(「なろう小説」)、そして「小説家になろう」というコミュニティの特徴が次のように示された。

・「シチュエーションのアイデア」の存在

異世界転生に代表される、何も参照せずに気楽に書くことが出来る舞台設定が存在する。

・「創作参考創作文化」の存在

先行作品に示されたテンプレを表面的に用いて再生産することで気楽に創作が出来る。

これらの存在によって、新規層が気楽に楽しみ、創作を始められる環境が整った。これが現在の「小説家になろう」の隆盛の原因であるという。

 

『なろう小説を批判する!』における「なろう批判への批判」

ここまでの『なろう批判を批判する!』の内容解説を用いて、本文中で「なろう批判を批判」しているだろう部分を紹介する。

まず「『俺TUEEE』は『なろう小説』だけの特徴じゃないから『なろう批判』にはあたらない」という部分である。これに関してはまったく意味不明だ。このジャンルが存在するのは、メアリー・スー問題でも有名な通り「なろう小説」だけではないということは示されているが、だからといって「なろう小説」に通用する批判ではないとするのはおかしい。メアリー・スー問題はすべての創作ジャンルにおいて批判されてしかるべき問題だ。この部分に関しては、論理的にも、創作者の態度としても批判に対する批判には妥当ではない。

また、「今現在『なろう小説』は虐げられているが、いつかは大衆に認められるはずだ」という部分がある。これに関して私は一部については同意したい。かつてSFがその内容に関わらず徹底的に批判もしくは迫害されていたように、「なろう小説」もまた今現在批判や迫害に晒されている。数十年後には、SFがたどったように「なろう小説」もまた大衆に認められるものとなるだろう。もしくは、アニメや漫画などのオタクカルチャー人気と相まってもっと早い段階で認められるかもしれない。その一方で、「なろう小説」が文学作品として認められることは永遠にないだろう。「なろう小説」には、本来小説がもつべき思想性が完全に欠如しているからだ。例として、初期SFにおけるスペースオペラ作品、特にエドガー・ライス・バローズによる「火星」シリーズ(1912年~43年)が挙げられる。この作品は主人公ジョン・カーターアリゾナから急に火星に「転生」するという形で幕を開け、地球と火星の重力の違いをもとに終始「俺TUEEE」的展開が繰り広げられ、火星の美しいプリンセスとの恋愛模様が描かれる。この作品は現代ならば「なろう小説」と全く同列に語られるだろう作品だが、初出から100年余りたった現在でもまったく文学作品としては扱われていない。思想性が欠如している単なる面白だけの読み物では、100年経とうが扱いはこんなものだ。

全体を通して、この文章は「なろう批判に対する批判」ではなく、「なろう批判に対する『なろう』に至るまでの歴史解説と弁明」という感が強い。この点で、「なろう批判に対する批判」としては価値がないと言わざるを得ない。しかしながら、特異な文化をもつ「小説家になろう」がいかにして成立し、現在に至るかを知るには大変貴重な資料であると言えるだろう。また支持を集めた理由は、「なろう」擁護側の意見が少ない中、本質的には歴史解説としてではあるが、「なろう批判に対する批判」として文章が一応完成していたからだろう。

 

この『なろう批判を批判する!』を読んで強く感じたのは、「小説家になろう」というサイトは、小説投稿サイトであるというよりも、特定の同じジャンルを愛する仲間が集まる、新規参入者に優しい巨大なファンサイトであるという方が近いということである。難しいことではあるが、自分の創作物がどのようなジャンルに属し、どのような反応を得られるかを理解したうえで利用するならば、「小説家になろう」は希望ある発表の場となるだろう。

最後に。ある小説が読み物であり、それを楽しむ読者層が存在するならば、その層を無暗に攻撃するべきではない。その読者たちが将来自分の作品を読んでくれる可能性があるからだ。

 

結論

・『なろう批判を批判する!』は「なろう批判に対する批判」としては的外れだ。

・『なろう批判を批判する!』が支持されたのは、「なろう小説」擁護側の意見が少ない中、一応文章として完成していたからだ。

・「小説家になろう」は特殊なコミュニティであり、新規参入者に優しく常に活発な活動が行われていることは注目には値するが活用は困難だ。

 

付記(以下別件)

個人的な話になるが、文中にあった「小説を書くのにスキルやツールはいらない」という言葉に非常に激しい怒りを感じた。確かに小説は言葉の集まりであるから誰にでも書けるものではあるが、「スキルやツールはいらない」という記述は、小説という表現方法に対する、創作者としてもつべき態度にあまりにも欠けている。伝えたいものがあり、それを上手く表現するのに一言一句で悩むのが、プロでもアマチュアでも変わらない、小説家としての態度だ。この真摯な態度を筆者は侮辱している。

もう一点、「創作するのに他のジャンルの作品や資料から要素を得てきて創作するのは未熟なジャンル」という記述が本文にある。この命題の対偶は「完成したジャンルは先行作品の模倣のみによって創作される」だ。これは明らかな誤りである。筆者にしてみれば、ネット小説を書く際に面倒な資料集めを行わずにいることを正当化しようと記述したのだろうが、現在のがちがちに固定化されたネット小説が筆者の考える「小説」の最終完成系であると声高に主張しているに過ぎない。

 

追記:『「『なろう批判を批判する!』への批判試論」を批評する。』への批判

私が発表した本論考『「なろう批判を批判する!」への批判試論』に対する批評とする、ラピさん氏による文章が「小説家になろう」に投稿されていた。

 

『「『なろう批判を批判する!』への批判試論」を批評する。』

https://ncode.syosetu.com/n7783ez/

 

今回の追記ではこの『「『なろう批判を批判する!』への批判試論」を批評する。』への批判を行う。

ラピさん氏は、”『「なろう批判を批判する!」への批判試論』の付記における「小説を書くのにスキルやツールはいらない」というのは誤りである”として批判していたが、これは誤りである。

私は”『なろう批判を批判する!』にあった「小説を書くのにスキルやツールはいらない」という言葉が誤りであり、私は「小説を書くにはスキルもツールも必要である」”と論じている。これは上記の付記を読み返していただければ確認出来る。いってしまえば、単なる読み間違いに過ぎない。

したがって、当該文書『「『なろう批判を批判する!』への批判試論」を批評する。』は私の論考に対する批評にはあたらない。

 

最後に、本筋からは離れるが気になった点を一つ。

『「『なろう批判を批判する!』への批判試論」を批評する。』では、はじめに私の本論考を「エッセイ」であるとしていた。これが私には不思議に感じられてならない。どう考えても、本論考は著者自身の感性がいかに表現されているかを重視する「エッセイ」(=随筆)ではないはずだ。

評論や批評を「エッセイ」と言って論理性や客観性を無視するのが「小説家になろう」の風土であるならば、『なろう批判を批判する!』に見られる論理性の完全なる欠如にも納得がいく。

東西の短篇の名手の奇跡のコラボ━━「さあ、気ちがいになりなさい」(フレドリック・ブラウン/星新一、ハヤカワ文庫SF)

書籍情報

作者:フレドリック・ブラウン

訳者:星新一

出版社:早川書房(ハヤカワ文庫SF)

形態:短篇小説集

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)

さあ、気ちがいになりなさい (ハヤカワ文庫SF)

 

収録作品

みどりの星へ』

『ぶっそうなやつら』

『おそるべき坊や』

『電獣ヴァヴェリ』

『ノック』

『ユーディの原理』

シリウス・ゼロ』

『町を求む』

『帽子の手品』

『不死鳥への手紙』

『沈黙と叫び』

『さあ、気ちがいになりなさい』

感想

短篇の名手・ブラウンの作品を、ショートショートの神様・星新一が訳すという奇跡のコラボとなった一冊。ブラウンの純粋な翻訳と言うよりも、ブラウンの作品を底に敷いた星の短篇集という毛色が強く、ブラウンのファンからすると一言つくものになっているという。しかし、東西の名手による貴重な一冊なので、星による解釈も含めて十二分に楽しんでほしい一冊である。

元々はサンリオSF文庫の「フレドリック・ブラウン傑作選」として刊行されていて、後に半分ほどがこの本に収録された。残りの作品のほとんどは「闘技場」(福音館書店、ボクラノSFシリーズ)という本に収録されている。(2018年6月4日、山岸真さんより間違いを指摘していただいたので削除)

この本はもともと1962年に日本独自の短篇集として「異色作家短編集」の一冊として早川書房から発刊されたもので、2005年に「新版・異色作家短編集」の一冊として再刊された。最初に刊行されたのち長らく復刊されず、2016年に初めて文庫化されたことで、やっと手ごろな価格で楽しめるようになった。(2018年6月5日追記)

以下、収録順に感想を述べる。

続きを読む

要素マシマシ、カオスだけど意外と予測は当たっているディストピアSF━━『2018年キング・コング・ブルース』(サム・J・ルンドヴァル、サンリオSF文庫)

書籍情報

作者:サム・J・ルンドヴァル

訳者:汀一弘

出版社:サンリオ

形態:長篇小説

f:id:Shiyuu:20180528224506g:plain

書影:HP「サンリオSF文庫の部屋」さまより引用

解説・感想

サンリオSF文庫紹介の第一弾。作者ルンドヴァルはスウェーデン人。ただでさえキワモノが多いサンリオSF文庫において、2018年(今年)でディストピアキング・コングスウェーデンと、異常にコテコテな作品になっている。

続きを読む