SF游歩道

語ろう、感電するほどのSFを!

プロフィール

自己紹介

下村思游(しもむら しゆう)

東北大学SF研究会前会長。東北大学理学部物理学科在籍。

SFファン歴はたぶん10年以上。最初に読んだSFは星新一のショート・ショート集「ボッコちゃん」。

1000冊を超える蔵書とともに日々の生活を過ごしている。

専門は日本SF御三家(特に最初期筒井康隆)、円城塔サンリオSF文庫

中華SFの翻訳・紹介をはじめたほか、英語圏のSF短編の翻訳にも挑戦中。

このブログでは、書評やSFの本(主に文庫本)の話を中心に少しずつ書き足していく予定。あまりこう文句を言う人もいないと思うが、各記事では思いっきり内容に言及してるので、未読の作品に関しては気を付けてほしい。

連絡先は本ページ一番下に記載しています。

好きな作家

星新一筒井康隆小松左京伊藤計劃円城塔、草野原々

レイ・ブラッドベリフィリップ・K・ディックフレドリック・ブラウンテッド・チャン、ケン・リュウ

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VRのSF性に関するメモ

VR技術をSFファンとして体験し、そのSF性について重要な発見をいくつかしているので、その感動を忘れないうちに記録しておくことにした。

あくまでメモ程度であるので整理はされていない。とにかくこの発見を記録しておくことが最優先事項であると判断した。

 

私が経験したVR体験は以下の通り。

 

 

 

以下が私のメモ。

  • ティプトリー接続された女」で示された"女の演じる女と普通の男との恋愛"という想像力は、"男の演じる女と男の演じる女との百合を男の演じる女たちが見守る"という地獄のような現実に上塗りされた。
  • "アイデンティティの喪失"という、SFにおける古典的な恐怖が、VR空間ではいとも簡単に、楽しむべき行為として行われている。これは「変容」のSFとしてのサイバーパンクにほかならない。
  • VRでは何者にもなれるのに、なぜあなたはあなたのままでいるの?
  • 同じ女になるにしても、ハイヒールや化粧、カツラなど"要素の追加"によって女になる現実とは異なり、VRでは低身長化、手を小さくするなど現実では出来ない"要素の削減"という方法が採れる。シークレットブーツで身長を足したり、手袋をはめることで"大きくする"ことは現実で出来る。しかし、背を低くしたり、男の大きく太い手を、女の小さく細い手にすることはVRでしか出来ない。この"削減"こそVRの本質である。
  • 従来のサイバーパンクは「変容」の手段として、"拡張"や"世界の上書き"ということをしていた。VRは体験者自身に作用することで「ものの見方」を物理的に変えてしまう。SF小説やSF映画がわざわざ"世界"を描写して現実味を持たせなくても、VRならVRただそれだけで、おのずから「ものの見方」が変わる。これはセンス・オブ・ワンダーそのものである。
  • 東北大SF研バーチャル会員、卜部理玲ちゃんの電脳ボディは、Vtuber計画に携わる会員の間で便宜上「義体」と呼ばれている。完全に「攻殻機動隊」の世界である。
  • VRゲームなんかしなくてもよい。「義体」に入ることこそが、VRの本質的なSF性を知ることである。VRゲームは所詮現実の上塗りに過ぎない。文字で書いてもこれは絶対に伝わらない。「ただそこにいることがSFである」という直接的な体験でなければ、これは分からない部類のものである。
  • Google Earth VRがすごい。仲間内で楽しむ間に、VRストリートビューを用いた「VR帰省」なる遊び方が開発された。ただしゲロゲロに酔う。一気に「うぷっ」となるので、VRにある程度慣れてから行うべき。体感20分が限界(25分くらいで一気に来る)。
  • HTC VIVEは非常にトラッキング精度が高いため、視点移動や通常の移動では全く酔わないが、Google Earth VRで空中にいるときに後ろ向きに飛行すると一気に来る。肉体の限界がVRの限界である。
  • 上記のVR酔いの対処法として、酔い止めを飲むのが現状の最適解ではないかと考えられる。この「薬物(酔い止め)で身体強化し、ネットにダイヴする」という行為の圧倒的なサイバーパンク感。
  • HTC VIVEを使用しているときの、その使用者の見た目が完全に「接続された女」。混線等を防ぐには、原理的に有線式が勝る。サイバーパンクは正しかったということである(サイバーパンク的な見た目を意識しているという可能性を排除しきれないが)。
  • より本格的に全身で動くVtuberのオペレーター(中の人、演者)はVRデバイスに繋がる線を天井から垂らし、体に絡まらないようにしているらしい(完全に「接続された女」)。
  • ネットにダイヴする人(HTC VIVEオペレーター)、そしてそれを補佐するバックアップ(デスクトップPCオペレーター)という構図が完全にSF。
  • 総合して考えるに、完全に「攻殻機動隊」というか、士郎正宗のヴィジョンがすごかったという結論に至る。
  • VRChatはその技術的障壁、金銭的障壁によって非常にアングラな世界。著作権的にグレーどころか真っ黒なアバターや、R18的なアバターが闊歩する世界となっている。
  • その参入障壁の高さから、VRChatは海外のSF通やガジェオタ・技術者ばかりが集まる非常に面白い空間である。その一方、ワールド全体に飛び交うショッキングピンクの花火など、合法か疑わしいエフェクトやアイテムを持ち込む者もあり、セキュリティ面に不安が残る。

いちSFファンによるVRchat体験記

先日後輩宅でVRChatを体験してきた。ものすごく面白かった。

言葉を失っている。

かつてSFが描いた世界が、目の前にあった。VRChatを体験していたその間、私は、まぎれもなくSFだった。

あまりの衝撃に、ずっと整理できないでいる。この体験記を読む方は、この記事が整理されていないものであることに注意してほしい。

 

とりあえず、私の体験を写真とともに記録していこうと思う。(VRChat内にカメラ機能があるのだが、不慣れで下手糞なためモニタを直接写真に撮るという荒業で撮影した。そのためが質が非常に悪い点に関してはご容赦ください)

 

私がVRChatを体験したのは平日の15時ごろ。当然日本人はワールドにおらず、参加者はほとんど夜更かししているであろうアメリカのオタクだった。

一応VR体験はあったのでVR自体にはさほど驚かなかったが、それにしても、ゲームのような空間の中に私が立っているというのは面白いものだった。しかし、ここはVRChat、これまでのように空間内に自分しかいないというものではなかった。

周囲には、英語でコミュニケーションを交わすアメリカ人オタクが10人以上はいた。聞こえてくる声は全て男声だが、見える姿はほとんどがかわいい女の子のアバターである。

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写真1:"kawaii"文化交流

上の写真の彼女(彼?)とは、kawaiiムーヴで謎のコミュニケーションを行うことが出来た。手を振ると、きちんと手を振り返してくれた(かわいい)。しかも表情の変化も手動で行っていたので、なかなかの手練れであろうと推測される。

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写真2:インターナショナルバーチャル百合ムーヴ

私はプライバシー保護のためマイクを切っていたので結果として非言語コミュニケーションを行うことになったが、海を隔てているとはいえ、こんなところにいるものはみな同類である。写真1の彼女と出会ってすぐ、バーチャル頭なでなでを体験することになった。(写真2)

写真では非常に分かりづらいが、写真2の状況で、私本人の鼻先に彼の顔があった。VRChatはルームスケールVRなので、まさに実際に自分が他人のかわいいアバターと交流しているのと変わらない現実を体験することが出来る。

このような距離のことを「ガチ恋距離」といい、これこそがVRChatの醍醐味のひとつである。かわいいアバターと、実際に触れあえるのである。

おそらく当時その場所にいた日本人は私だけだったが、会う人はみな"kawaii"ムーヴ体得者であった。間違いなく、ネットの海を隔てて目の前にいるのはアメリカのオタク(しかも多分おっさん)である。しかし、目の前に見えるのは、写真1にあるように、笑顔で手を振り返してくれるかわいい女の子である(かわいい)。

これが現実に存在するのだ。SFの中でしかありえなかったような状況が、SFの想像力をはるかに凌駕した形で、いま私の目の前にあるのだった。この経験は、言葉では言えない。あなたが、あなた自身でもって体験しないと分からないであろう。(じゃあなんでお前はこんな文章を書いているんだ、ということになってしまうが)

 

名前も外見も知らない外人と"kawaii"を共有し、"kawaii"をともに作り上げる。「ちびのトースター」(おっさん)がバーチャル空間を平行移動で疾走し(写真撮影失敗)、バーチャル美少女(おっさん)とオタクトークし、美少女であるところの私(日本の大学生)に「きみかわいいね!」「しゃべれないの? お話ししようよ!」と英語で話しかけてくる。(外人にかわいいと言われたのは人生初でした)

美少女(写真1、2の彼女。おっさん)が虚空から刀を取り出し、「Show my SWORD!! Ninja Sword!!!! BOOOOM! BOOOOM!」と刀を見せびらかして振り回し、それを周りの美少女(おっさん)が羨ましそうに見ながらオタクトークをする。

小さい幼女(おっさん)が走ってきて、お花を渡してくれる。(写真3)

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写真3:花をくれた女の子(おっさん)

目の前に走ってきて、頭をなでてくれとせがむ幼女(おっさん)をなでる私。(写真4)

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写真4:頭をなでて国際交流

これらが、現実として、私の目の前にあった。たった15分ほどの出来事だった。これまで楽しんできたSFが、フィクションに過ぎないのだと体感した15分だった。

マトリックス」、「ブレードランナー」、「接続された女」、「ニューロマンサー」、「攻殻機動隊」、「レディ・プレイヤー1」、これらは素晴らしいフィクションだった。しかし、フィクションに過ぎなかった。それを私は体験したのだった。

 

 

 

Vtuber」、「バ美肉」、「VRChat」とSFらしい話題には最近事欠かないが、本当に、それらを実際に体験してそのSF性を論じた人間がいただろうか。SFに関わる人間できちんとこれらに言及している人間を、私はまだ見ていない。

それはそのはず、語るべき言葉を失うはずだからだ。私たちの体験していたSFは、虚構に過ぎなかったのだと、VRChatは目の前に、否定できない現実として突き付けてくるからだ。

 

フィクションの敗北を語る私に対して、「お前の文章表現が悪いのだろう」という反論を行うことは出来る。

しかし、私が感じているのは、構造としてのフィクションの敗北である。

私のVR体験は、現実である。それに対し、私のVR体験記は、フィクションである。そして従来のSFもまた、フィクションである。

現実は誰かの目を通した瞬間にフィクションになる。SFがフィクションである限り、現実としてのVR体験には勝てない。それを現実で私は実感してしまった。

 

おそらく、SFに深く携わる者ほど、この衝撃は大きいのだろうと思う。私の言いたいことは、とにかくVRChatを体験してほしいということである。言葉では語りつくせない。言葉で語れる感覚というものを、原理的に超越している。

とにかく誰かに体験してほしい。参入障壁は高いが、それだけに、いまは純粋な拡張された現実という現実を楽しむことが出来る。たのむから、はやく、VRChatに触れてほしい。

ブログ開設1周年の反省、今後の目標、その他よしなしごと

気がつけばこのブログを開設して1年が経っていた。

もともと継続的に更新するつもりだったとはいえ、1年の間にひとつひとつの記事が質・量ともに加速度的に重さを増していき、記事ひとつで1万字を超えることが珍しくなくなってしまった。

まあ、自分が楽しめていればまず目標達成なのでそれはよいとして、今後も継続していけるように、色々と書き残したいと思う。

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流行に先んずること40年以上、悲劇(?)の中華SF――「猫城記」(老舎、サンリオSF文庫)

書籍情報

作者:老舎

訳者:稲葉昭二

出版社:サンリオ

形態:長篇小説

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書影:HP「サンリオSF文庫の部屋」さまより引用

解説・感想

サンリオSF文庫紹介の第二弾。老舎は中国の作家ということで、この「猫城記」は今流行の中華SFということになる。流石はサンリオ、中国SFの流行を見事に見抜いていたのだ。惜しむらくはその流行が40年近く先であったことと、肝心の「猫城記」の内容がダメダメだったことだろうか。

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東北大SF・推理研 コミックマーケット95参加レポート

平成最後のコミケとなるコミックマーケット95の3日目(2018年12月31日)に、「東北大学SF研究会」として初めてサークル参加をし、東北大SF・推理研の機関誌「九龍」第2号を頒布した。会誌制作から頒布当日までの体験をここに記録しておくので、将来のSF・推理研会員各位は今後の活動の参考にしてほしい。

  • 機関誌制作
  • 事前準備
  • 頒布当日
  • 結果
  • 良かった点
  • 反省点
  • 修正案
  • 後日発覚したこと(2019年1月6日追記)
  • 購入報告等
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2018年下半期の読書整理記

また半年が過ぎ去り、2018年が終わる。平成最後の年に向けて、下半期に読んだ本を整理したいと思う。

 

下半期のベスト10

1.「文字渦」(円城塔、新潮社)

間違いなくこの作品が下半期のベスト。年間を通してもベスト、というかこれまで読んできた中でもベスト。

これまで「小説を書く」ということを徹底的に考え続けてきた円城塔が、今回はそれをさらに超えて“日本語”で“紙の本”の“小説を書く”ということを徹底的に突き詰めた結果がこの作品なのではないか。

前々から「全く新しいということは分かるが、新しすぎてどれだけすごいのか分からない」と言っていたのだが、この作品でついに分かった。空前絶後だ。文字通り。こんな異様な才能はもう二度と出てこない。

この作品集は「文字」に関する作品集だ。「文字」というものを徹底的に考え抜き、遊んだ結果がこの作品集だ。これまでの円城塔の読みづらさが「文字」を題材に撮ったということ自体に吸い取られたため、これまでの作品よりもずっと読みやすい。

私は、この作品を自信をもってすすめる。これこそが、現代日本文学最大の収穫であり、ひとつの到達点にあたる作品だ。”日本語”で”紙の本”の”小説”を書くという日本文学は、夏目漱石からはじまり、円城塔でひとつの極地を見るに至った。

この作品を、見逃すにはあまりに惜しい。

私が収録12作でもっともおすすめするのは、『新字』だ。状況説明的な前半さえ乗り切れれば、後半は息もつかせぬ「文字」への考察が待っている。(こう言うのはどうかと思うが)『新字』だけでも書店で立ち読みなりなんなりしてほしい。買わずにはいられなくなるはずだ。

文字渦

文字渦

 

shiyuu-sf.hatenablog.com

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円城塔試論Ⅰ「円城塔の自己言及性とSF性」

私は円城塔のファンであり、ここしばらく円城塔とSFと物理と文学のことしか考えていない程度にはファンである。そうして部室などで円城塔の面白さを他人に語りまくることを通じて、円城塔の作品を読むことにおける重要な要素をようやく整理することが出来たので文章にまとめておく。

円城塔は、一般にはSF作家と認知されながらもSFらしくないと言われる作家である(よく分からなくて難しいのがSFらしさ、と言われるとなんとも反論できなくなるが)。しかしながら、円城塔をきちんと理解していこうと読んでいくと、次第にSFらしさというものがはっきりと見えてくるようになる。このように円城塔を読んでいく上で最も重要なことは、「Self-Referencial」(自己言及的)な要素を理解するということである。

まず前提知識として、「円城塔」は「Self-Reference ENGINE」であり、小説によって小説を記述し、言語によって言語の不完全性を笑うものであるということを理解してほしい。ここでまず、なぜ自己言及がそんなに重要なのか不思議に思う方がいるかもしれないので、その解説を行う。

自己言及、特に円城塔もそうであるように理系の分野における自己言及と言うと、20世紀初頭にイギリスの哲学者・論理学者・数学者であるバートランド・ラッセルによって指摘された「ラッセルのパラドックス」というものが有名である。

ラッセルのパラドックス」とは、素朴集合論において自身を集合の要素として含まないような集合をおくと、矛盾が発生するというものである。これを論理式で表すと、以下のようなものになる。

\begin{align} R = \{ x | x \notin x \}, \\ R \in R &\Leftrightarrow R \in \{ x | x \notin x \} \\ &\Leftrightarrow R \notin R \\ R \notin R &\Leftrightarrow R \notin \{ x | x \notin x \} \\ &\Leftrightarrow R \in R \end{align}

上記の論理式で示したとおり、最初の仮定R = \{ x | x \notin x \}の下でR \in RとおいてもR \notin Rとおいても確かに矛盾が生じる。(現在集合論として採用されている公理集合論では、R = \{ x | x \notin x \}を集合と定義しないことによってこの矛盾を回避している)

このほかにも、自己言及のパラドックスとしてはクレタ島出身の哲学者エピメニデスによる「すべてのクレタ人は嘘つきである」というエピメニデスのパラドックスがよく知られている。さらに言えば、「この文は偽である」という文章もまた、自己言及のパラドックスの最も単純な例である。このように、自己言及が行われている場合、不可解で興味深い矛盾が生じることが多い。

これを小説で行っているのが円城塔なのだ。

小説とはなにかと小説で問う。言葉とはなにかと言葉で問う。自己言及によって自明だと思っていたことに揺さぶりをかけ、新たな地平へと読者を連れていく(連れていくとは限らないが)。

その実例が円城塔の小説の難解さから導かれる小説の本質的な不完全性*1だ。この事実を指摘するには今私が行っているように評論の形をとって自己言及を避けるべきだが、最初に示す際は小説によって読者に読み取らせた方が都合がいい。(「小説は完全ではない」と率直に主張する小説は矛盾を起こす)自己言及によって生じた矛盾を解決するために、解釈を変更する。この解釈の変更がSFで言うところの「センス・オブ・ワンダー」であり、数学で言うところの「再定義」であり、物理で言うところの「理論の修正、もしくは式の解釈の修正」なのだ。これこそが、円城塔のSFの本質のひとつであり、晦渋極まる語り口と人を突き放す発想と底なしの情報量とに遮られて見えづらくなっている円城塔のSFらしさのもとなのだ。

このような「現行理論の矛盾点を解決し、かつ旧来の理論を包含する新たな理論を構築する」という行為は、数学や物理学で日夜行われている行為(例:古典力学から相対論への拡張)であり、真に科学的な行為だと言える。その手法を用いた、もしくは読者にその行為を行わせるような虚構は、まさにサイエンス・フィクションだと言えるだろう。

数学や物理学は円城塔が専門としていた分野である。それらを用いて自分の好きな文学を描き出し、自分とはなにものかを外部に示す。それはまさしく自己言及的な行為であり、またSF的な行為だ。円城塔は疑いの余地なく「Self-Reference ENGINE」であり、また円城塔の作品は紛れもなくSFなのである。

*1:これについては以下の記事の「総解説」の節を参照していただきたい。 shiyuu-sf.hatenablog.com